日常的に意識することは非常に少ないが、一般に知覚の機能は多層的、階層的な構造を持つ。本発表では、主に動的情報を視覚的に知覚する機能、すなわち運動視の初期発達に焦点をあてながら、乳児期における知覚発達の諸相が知覚機能の多層性を反映したものである可能性について論じる。運動視の機能はGibson(1950, 1979)などによって指摘されるように、私たちの身体運動の知覚、制御に重要な役割を果たす。特に、光学的流動と呼ばれるような大域的な視運動パタンは、観察者自身の移動を表象する強力な視覚情報となる。こうした光学的流動の知覚が、乳児期においてどのような発達的変化を示すのかについて、発表者自身がこれまでに関与してきた研究の成果を中心に報告する。またそうした光学的流動知覚の発達が、乳児の能動的な移動行動の発達とダイナミックに相互作用しながら変化していく可能性について示す。それらの一連の研究成果に基づいて、運動視の発達の各段階と、ヒト一般における運動視機能の諸側面との対応関係を論じながら、適応的観点からそれらの発達的、機能的特徴について解釈を試みたい。
本レクチャーは、視知覚(visual perception)研究を始めたばかりの若手を対象とする。現代の視知覚研究は、私が実験心理学の勉強を始めた二十数年前から様変わりした。学際性の広がりや研究手法の多様化といった点はむろんのこと、情報量、すなわち公刊される論文数が年々増加していることにも注目すべきであろう。私たちのパソコンに保存される論文のPDFファイルは増える一方であり、図書室にかよっては論文を厳選してコピーし、それだけに目を通しておけば研究動向が把握できた牧歌的な時代はとうの昔に過ぎてしまった。次から次へと公刊される論文の洪水に立ち向かう若手研究者に、数十年も前の過去研究を振り返る余裕はないかもしれない。一方で、サイエンスにおける過去とは、かえりみる必要のない昔話では決してない。論文の査読過程では「先行研究をどれだけきちんとリファーしているか」が重視されることからもわかるように、現在の研究動向の土台を構成しているのは先達による長い思索と実践の積み重ねであり、それを無視した独善的な研究はなかなか受け入れられない。
計算理論(computational theory)、表現(representation)、並列処理(parallel processing)、分散処理(distributed processing)、モジュール構造(modular structure)、線形システム理論(linear systems theory)、コネクショニズム(connectionism)といった用語は昨今の視知覚研究論文においても現れるが、これらは私が大学院生だった1980年代、新しい概念として視知覚研究や実験心理学分野に怒濤のごとく流れ込んできたものだ。重要な点は、こういった概念が現在においても視知覚研究の土台を構成しており、メインストリームの研究はその土台の上に成立しているべきだという認識が、暗黙のうちに仮定されていることにある。そして、たとえ最先端の研究テーマに取り組んでいたとしても、その研究自体を構成する土台を正しく理解していることは、自身の研究内容を深めるだけでなく、今後その研究テーマにどのようにコミットするかといった点を見極めるための有効な指針となるであろう。
Trends in Cognitive Sciencesに掲載された最近のレビュー論文をいくつか手に取ってみよう。視覚系におけるwhere/what経路(de Haan & Conwey, 2011)や情動(Lindquist & Barrett, 2012)といったおなじみのテーマを選んでみる。一読してわかることは、上記の概念を土台とした研究パラダイム間のせめぎ合いが今後の研究全体の方向性を決める、という将来像がどちらにも明確に記されていることだ。逆に言えば、土台を形成する概念の理解が不足していると、研究における自分の立ち位置や今後の方向性が正しく認識できない可能性も出てくるだろう。本レクチャーでは、文献を参考にして、視知覚研究の土台を構成する各種概念の理解を深める機会を提供することを目的とする。
藤原定家と石清水八幡宮の田中宗清との間に交流があったことは、『明月記』の記事より知られていたが、最近、『明月記』の紙背文書に宗清から定家に宛てた書状があり、その内容から両者のさらに深いつながりが明らかにされている(藤本孝一「田中宗清と藤原定家」(『清峯』30、2011年)。藤本氏が紹介された書状の他にも、定家に宛てたと思われる宗清書状が同じ『明月記』紙背文書に存在している。本報告ではその書状について紹介と検討を行なうことにしたい。
石井 正敏 研究員
年未詳五月十四日付け源頼朝袖判御教書について-島津庄と日宋貿易-
『島津家文書』所収標題の文書は、島津庄官が唐船着岸物を大宰府によって押し取られたとして、領主近衛家を通じて源頼朝に訴え出たことに対し、頼朝が大宰府の行為を新儀とみなし、庄家に返付すべきことを命じた内容である。本文書の内容の検討から鎌倉幕府草創期の日宋貿易について考えてみたい。
かつて聖蹟桜ケ丘の「聖蹟記念館」に、土佐閥の田中光顕伯爵の「田中光顕文書」が所蔵されていた。この文書は、田中宛山縣有朋の書簡を中心に伊藤博文書簡その他各種文書で、明治期政界の楽屋裏話を含む興味深い史料である。記念館は、昭和60年(1985年)多摩市に移管された。移管直前に田中光顕文書が売却されたが、その数ケ月前、記念館側から連絡があり、全文書が撮影された。撮影時の関係者もほぼ亡くなったので、この史料をめぐる回顧と雑談
松尾 正人 研究員(中央大学教授)
多摩地域研究の歩み―中央大学の多摩移転―
多摩地域の自治体史編纂」に続き、中央大学の多摩移転と同時期の多摩地域研究の歩みを辿る。
本発表では、16世紀に発生し、現代英語にかけて拡張してきた、REcord (n.) 対 reCORD (v.) に見られるような2音節語における「名前動後」の強勢パターンについて、各時代の辞書を用いた実証的調査を行なう。特に、拡張の順序と語の頻度との間に何らかの相関関係があるかを探る。
谷 みゆき研究員
日英語話者の事態把握による文法構造の相違について
言語形式の違いは言語を扱う主体の概念化のプロセスの違いを反映していると考える認知言語学の枠組みの中で、これまでに日英語の言語形式の違いを両言語話者による事態把握の志向性の違いとして捉えた事例研究が多くなされてきた。本発表では当該志向性および事例研究について概観し、今後の展望について述べる。
アナトリア高原の新石器時代研究は、農耕牧畜の起源、そのヨーロッパ方面への拡散、その後の新石器文化の展開という点において非常に重要である。さらに近年、ギョベックリテペなどに代表される奇抜な建築遺構や豊かな物質文化の発見は世界を驚かせた。そうした発掘調査の進展を踏まえて当地域の新石器時代の特異性を考える
津本 英利氏(古代オリエント博物館研究員)
ヒッタイト考古学の新知見
元前1200年頃までの後期青銅器時代、現在のトルコの地に栄えたヒッタイト帝国。1906年の再発見からこれまで、ヒッタイト研究は主に粘土板文書の解読が担ってきたが、近年のヒッタイト都市遺跡での発掘調査や新発見は、従来の認識や通説に再考を迫る結果をもたらしている。主に考古学の視点からヒッタイト学の最新研究を紹介する。
各種障害者に対する臨床心理士の関わりは、これまでのような個別の面接場面だけではなく、より生活に密着した在宅や生活支援など、より広い形での関わりが求められている。講演では、臨床心理士として、地域における巡回や生活支援を実際に行っている中で感じ、見えてくる臨床心理士の役割について紹介する。
社会性機能障害の特性を有する子どもたちへの介入(early intervention for children with a developmental disability)に関する勉強会を行う。
本発表では、生成文法理論に基づき、日本語母語話者の英語と英語母語話者の日本語を対象に、アスペクトとテンスの解釈を調査した実験的研究を報告する。研究の目的は、第二言語学習者が形式素性を習得できるか検証することである。
田川 拓海氏(筑波大学助教)
連用形派生の複合語と名詞化への統語論的アプローチ
西尾(1961)で「連用形名詞」の1タイプとされた「X+動詞連用形」型複合語(例:草刈り)については、複合動詞などに比べそれほど研究がなされてこなかった。本発表では分散形態論(Distributed Morphology)による統語論的アプローチを用いることでその形態的特性(範疇・活用形)と統語論的・意味的特性を統一的に分析する可能性を探る。
This lecture examines the link between myth and ritual in Islamized shamanism in Xinjiang (China), especially among the Uyghur and Kirghizs peoples. Contrary to the rest of Central Asia, Shamanism is characterized, in the rural areas populated by Kirghizs and Uyghur, by several archaic elements and gestures, particularly in its rituals, that are of a great interest for the researchers working on Shamanism in general, and particularly on Central Asian shamanism, and on the mingling of Islam and ancient pre-Islamic religions (Zoroastrism, Shamanism, etc.). This lecture will focus on these particularities of Uyghur and Kirghiz shamanism through a comparative analysis of its foundation myths and of the healing rituals performed since the end of 19th century up to our days. The lecture will be illustrated by several pictures and photographs, and by short videos.
From birth, infants need to extract relevant information from a complex world. One hypothesis about how infants categorize and process stimuli is that early mechanisms, which have evolved from our ancestral history, predispose us to attend to human faces at birth and develop with visual experience to learn about conspecifics. Some argue in favor of an early preference for human faces due to an attraction toward human eyes. Indeed, the human eye is unique and particular as compared to non-human primates and other animals; it is composed of a widely exposed white sclera, paler than the facial skin and iris (Kobayashi, & Kohshima, 1997). I am going to present 2 studies that aimed to investigate the importance and attraction for human eyes in newborns and older infants and determine when it appears during the first year of life. In the first study we used an eye tracking system to determine infants' preference for human face. In the second, to avoid interference from the overall structure of the human face, we created stimuli that differed only by the presence versus absence of human eyes. We inserted human eyes into non-human primate faces (chimpanzees and Barbarian macaques), which have the advantage of having a structure similar to human faces, but with eyes without sclera.In a preferential looking time paradigm, newborns, 3-, 6-, and 9-month-olds were simultaneously presented with two non-human primate faces that differed only by the eyes.Infants from 6 months of age preferred the stimuli with human eyes. No preference was observed before that age despite non-human primate faces with human eyes having more contrast in the eye region. Our results suggest that visual expertise for human eyes is not present at birth, but seems to emerge later in development when more visual experience with conspecifics has occurred.
19世紀末に日本を通して中国にもたらされた『社会契約論』は中国で翻訳・流布された最初のヨーロッパの作品のひとつであったが、中国史の決定的な瞬間にこの上なく激しい論争を惹起した作品でもあった。近代国民国家建設のための基本的理論と見なされた『社会契約論』は、帝国システムを終焉させた1911年の革命の主要な霊感源となった。中華民国(1912年から1949年)の下では、ルソーの政治思想は以前ほど支配的な役割を演じなかったとはいえ、彼とその作品は改革主義者と革命家を対立させる論争の対象であり続けた。当時は、単にルソーの政治論のみならず、文学と教育作品を通して彼の生涯と人となりもまた、中国の読者の心を動かした。共産主義体制下では、殆どの外国作品が禁止されていたが、フランスの哲学者(ルソー)の政治論文は翻訳が許された数少ない作品に属していた。ただし彼の文学作品は禁止されたままであったが。ここ30年前からルソーは中国の知識人たちの間で関心を呼び、政治、文学、法学、環境の分野で再び論争の的となっている。今回の報告は、現代中国に対するルソーのインパクトを分析しながら、中国におけるルソー受容・グローバルなヴィジョンを提出することを目的とする。
ルソーの『社会契約論』は、日本を経由して19世紀の終わりに中国に紹介された。20世紀のはじめには、数千年に及ぶ皇帝による支配体制に終止符を打った1911年の辛亥革命に先立って、同書は革命を鼓舞する主要な典拠のひとつとなった。同書はまた、中国の若い知識人たちに、自分たちの国の文化について深く反省するように促した。「民」と「民約」は、ルソーの『社会契約論』の鍵となる二つの概念である。民とは、政治体をつくるべく集まることを選んだすべての者を意味する。この政治体の構築は、民約(pacte social)と呼ばれる行為の結果であ る。「この行為を通じて、民(le peuple)は人民 (un peuple) となる」。すなわち、この行為は、立法権、つまり共同体の要務を決定する権能を集団全体に与える創設行為である。この二つの概念は、中国の伝統的な思想からみれば、まったく新しいものであった。中国語で「民」の語は、各人を区別せずに全体として一括りにした集合を意味するのではなく、君(皇帝や王)や官僚と対となる具体的な人々を意味していた。「義は民にあり」という伝統的な観念によれば、民は国家の礎であり、尊重されなければならないのではあるが、決して国事の決定権を持つことはない。『社会契約論』の初期の中国語訳を比較検討する作業を通じて、これら二つの鍵となる概念がどのように訳されているかを詳しく検討し、ルソーの主張が中国の近代思想に新たに何をもたらしたかを明らかにしたい。また、ルソーの主張が、現代、そして将来の中国においてどのような役割を担うのかも問いたい。
When observers look at the same picture from different locations, their impressions of three-dimensional spatial directions depicted in the image may be different. Such vantage point effects can be strong and dramatic, but are usually overlooked, because people are not used to attend to them. However, they can be readily noticed in large images in museums, churches, and advertising billboards, if the observer deliberately moves in front of these displays and pays attention to the structure of the depicted scenes. Two classes of vantage point effects will be illustrated and discussed. One class, the '3D slant effects', involves perception of 3D orientation of elongated structures, such as roads, pillars, terraces etc. An example is the 'egocentric road effect', in which a depicted road is perceived to be directed at the observer regardless of where the observer is located; that is, the road in the picture can appear to change its direction for 90 degrees or more when the observer moves. The second class are the 'gaze effects', which involve the perceived direction of gaze of portraits. For example, in the 'Mona Lisa effect', a portrait hanging on the wall, which is perceived to direct its gaze at the observer, will continue to do so almost wherever the observer is located; that is, the portrait will appear to 'follow' observers with its gaze as they move across the room. Experiments addressing the slant and gaze effects will be reported. The standard 'dynamic' explanation of these effects, which postulates that they are based on inferences of observers as they move in front of the image, is easily shown to be inadequate, because the effects are present for stationary observers as well. Instead, a 'static' approach to these effects will be proposed, based on interpretations of observer-relative spatial direction cues in images. For the 3D slant effects these cues involve features of linear perspective. For the gaze effects they involve not just the location of the iris within the sclera of the eye (which is often thought to be the only gaze direction cue), but also the perceived orientation of the head of the portrait with respect to the observer.
紀元前2-3世紀の前漢時代に作られたものと見られる黄帝内経は、春秋戦国時代以前まで巫術と混合されていた医療行為から抜け出し、医学という一つの学問体系を形成することに貢献した。以後、黄帝内経は東アジア伝統医学の最も基本的な理論と臨床原則を表すバイブル的役割を成すようになり、各時代の医学及び医療に様々な影響を与えた。黄帝内経に見られる人間の内面に関する探求と省察は、単純に病を治療する医学のみに局限されたものではない。むしろ、病が表れる以前の生理的状態に関して説明を行い、人間と社会、または人間と自然環境の間の調和を追求している。更に黄帝内経は、現代社会の医学、あるいは医療が抱えている様々な問題に対して、人がどのように暮らせば健康に生活できるのか、社会環境と自然環境の中にどのような調和を見いだして生きていくべきか、という疑問に対する教訓も与えてくれる。従って、本講演は21世紀の新しい医学モデルを造成する際の一助になると期待できよう。
ブレスト、パリ、ノワイヨン、リヨン、ジュネーヴのシンポジウムだけでなく、各地での記念展示や現在進行中の新しい試みなども含めて、概要を私なりに整理し、プロジェクターで映像を写しながら、私見を述べたい。
増田真氏(京都大学大学院文学研究科教授)
パリとリヨンのルソー・シンポ報告
3月末にパリで行われたルソーの『音楽辞典』に関するシンポと6月初旬にリヨンで行われたルソーの哲学に関するシンポジウムの二つに参加して発表を行ったので、その概要を報告し、また両シンポの主催者やいくつかの発表の概要についても紹介したい。
古アイルランド語の物語『クアルンゲの牛捕り(T?in B? Cuailnge)』はアイルランド文学の中で最も重要な作品であり、長い間高い人気を誇ってきた。その結果さまざまな稿本が存在し、現存する12世紀初頭に成立した最古の写本から19世紀に成立した写本に至るまで、およそ80余りの写本の存在が知られている。今回はこの物語の内容を簡単に紹介し、稿本間の主な相違点を挙げるとともに、昨年出版されたこの分野における最も新しい研究、H.L.C.Tristram先生(Universit?t Freiburg)の論文“Die handschriftliche ?berlieferung des altirischen Prosaepos ?ber den ?Rinderraub von Cuailnge?(T?in B? Cuailnge)” (N. N. Kasanky編, Acta Linguistica Petropolitana / Transactions of the Institute for Linguistic Studies, vol. VII, part 1, 所収、St. Petersburg: Nauka, 2011, 465-507.)を軸に、800年に及ぶ写本伝統の推移と研究の展開を追ってみたい。
13世紀から14世紀にかけてネーデルラントでは、フランスの影響を受けて多くの「アーサー王物語」が生み出されていた。それらの作品の中には他に見られない独自のキャラクターが登場するなど、研究者にとって貴重な情報が数多く含まれているが、中世オランダ語という言語の壁に阻まれて近年まで本国以外では研究が限られていた。本報告では『ランスロ集成』(1330年頃編纂)並びに『ワルウェイン物語』(13世紀中頃に完成)を中心に、フランドル・ブラバント地方におけるアーサー王文学の魅力を見て行きたい。特に、フランスの作品との相違点、黒人騎士が活躍するストーリーなどネーデルラント作品のオリジナル性、また「死者の恩返し」、「狐の助っ人」といった随所に見られるフォークロア的モチーフに注目したい
Some Reflections on the Diversity and Religious Functions of the Sacred Stones and Holy Places of the Bakhtiyari Nomads from the South-west of Iran
イラン西南部に暮らす遊牧民、バフティヤーリーのあいだでは、聖者崇敬と聖地参詣が今なお盛んであり、聖なる木・岩石への犠牲の奉納もみられる。このような信仰形態はバフティヤーリーの季節移動における過酷な生活体験と密接に結びついている。かれらと生活をともにして遂行した実地調査に基づいて、その信仰生活の実態と意義を考察する。
“One Hundred Years of Hittitology: Achievements and Recent Development”
「ヒッタイト学の100年:研究の成果と最近の研究動向」
誕生して100年になるヒッタイト学の歩みを振返りながら、最近の研究動向を紹介する。主に、アナトリアにおける発掘とヒッタイト語解読による研究がヒッタイトの文化・歴史の理解にどのように貢献したかを、ヒッタイト古王国から帝国末期にいたる時代(紀元前1700~1200年頃)について見ていく。
ヨーロッパは多言語主義と異文化コミュニケーションの本場です。言語学的に見ると、ヨーロッパの国はアイスランドを除き、全て多言語です。23の公用語を持つEUは多言語主義を重視しており、「全ての欧州人が少なくとも2つの外国語をマスターする事」を目標に掲げています。語学教育においても文法・訳読型だけではなく、欧州では17世紀からコミュニケーション能力に重点をおいた訓練が行われて来ました。語学授業では、聴く力と話す力を養うためにインターアクティブな訓練が行われています。そして国語教育、外国語教育の目的は、コミュニケーション能力を養う事であるとはっきりと位置づけられています。今回の公開講演会ではデュイスブルク・エッセン大学からシュピルナー名誉教授を講師としてお招きし、LLの失敗の原因、ペア学習、チーム学習の効果などを含め実践的なレベルで語学学習法を共に考えます。
多摩キャンパス(学部:経済・商・文・総合政策・国際経営、大学院:経済学・商学・文学・総合政策)
後楽園キャンパス(学部:理工、大学院:理工)
市ヶ谷田町キャンパス【中央大学ミドルブリッジ】(学部:国際情報、大学院:国際情報研究科)
茗荷谷キャンパス(学部:法、大学院:法学)
駿河台キャンパス(専門職大学院:ロースクール、ビジネススクール)
小石川キャンパス(体育施設)