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井田一郎


ジャズ・バイオリニスト、作曲家、編曲家。

1894年(明治27)年〜1972年( 昭和47)3月14日。 東京市浅草区生まれ。 幼少時は家庭の事情で各地を転々とする。



1910年(明治43)

三越呉服店音楽部オーケストラに入り、トランペットを担当。同楽団ではたびたび社交ダンスの伴奏を手がけたことから、若い頃よりダンス音楽やジャズに関心を持つ。


大正のはじめごろ

ラグタイムやフォックストロットといつた新しいダンス音楽を米国の音楽雑誌から見つけて演奏。噂を聞きつけた瀬戸口藤吉(1868-1941、海軍軍楽師)がその演奏法を教はりに来たほど。のち三越を辞めて日本郵船の客船・鹿島丸の船内バンドに加入し、横浜・鶴見に新しくできる日本初の公開ダンスホール・花月園のために米国で楽器を買ひ付けて帰国してからは同園のダンスバンドに所属し、バイオリンを担当。


1922年( 大正11)

1919年(大正8)、 再び東洋汽船の天洋丸に乗り込んだのを経て、三越時代の恩師・東儀哲三郎の紹介で「宝塚オーケストラ」に入る。同楽団では社長の吉岡重三郎の許可を得てジャズの演奏も行なつたが、当時はまだ音楽家の間でもジャズへの理解がなく、他の楽団員から反発を受けて1923年(大正12)に退団。


1923年(大正12)3月

岩波桃太郎、高見友祥らとともに日本初のプロのジャズバンドである 「ラフィング・スターズ」 を結成。

白いジャケットに黒いズボン、腰にはスペイン風サッシュを巻いてステージに。マネージメントは神戸三ノ宮の北尾楽器。ディキシースタイルで、オリエンタルホテルや山の上の東亜ホテルのダンスバンドとして出演し人気を博す。しかしダンスパーティーだけの契約に無理がたたり五カ月で解散。

また宝塚時代からの知人であつた原田潤の招きで大阪松竹楽劇団にも加はるが、ここも短期間で退団した。

連載 日本ジャズ史(4) 1920-30年代  井田一郎_c0005419_23194265.jpg
ラフィング・スターズ



1923年(大正12)8月

道頓堀に松竹座が開場し映画・実演で人気を集めてゐた 「松竹座オーケストラ」 に加入。


1924年( 大正13)

公演《王麗春》の作曲・指揮に抜擢され好評を博す。

翌年の四月東京へ上京。

秋には、 南海電鉄の後援で「大浜少女歌劇団」が設立されると、その指揮者兼編曲者として迎え へられ、オーケストラだけでなく演出や振付けも手がけた。


1925年( 大正14

「パウリスタ」に強力メンバーによるジャズバンドを編成して出演。

暮れには、 「パウリスタ」を抜け大阪最大の「ユニオン・ダンスホール」(一階がカフェー、二階がホールの近代的装備)に入り、高見友祥 、平茂夫、山口豊三郎ら草創期における一流のジャズメンたちとともに 「チェリーランド・ダンス・オーケストラ」 を組み、はじめは関西を中心に活動するが、のちには東京にも進出。


1928年(昭和3)4月

井田一郎のチェリーランド・ダンス・オーケストラが三越のホールのジャズ演奏で好評を博す。メンバーは、  芦田満(サックス)、小畑光之(トランペット)、 谷口又士(トロンボーン) 、平茂夫(ピアノ)、加藤一男(ドラムス)に井田一郎を加へての六名。即興のフェイクやアドリブが盛り込まれた本格的なデキシーランドスタイル。しかし演奏曲目は、純粋のディキシーランド・ジャズのオリジナル曲といふよりは、「フー?」、「バレンシア」、「ハレルヤ」など、当時流行してゐたダンスナンバーがほとんどだつた。

井田たちの演奏を聴いて法政のラッカンサン・ジャズバンドや慶応のレッド・アンド・ブルー・ジャズバンドなどの学生は大きな刺激をうけた。

井田たちは、三越演奏から松竹キネマの専属となり松竹系のアトラクションの出演を経て、 浅草電気館で日本初といはれるジャズ・コンサート。 舞台映画の合間にジャズを演奏。やがてバンド名を 「松竹ジャズ・バンド」 に変更。連日大入りの盛況。


傍ら、 二村定一 と組んで「木曽節」「安来節」「小原節」といった日本民謡をダンス用のフォックストロットに編曲してレコードに吹き込み、“ジャズ・ソング”と銘打つて発売、好評を博した。



しかしバンドの方は度重なる内紛でメンバーを入れ替へ。 ドラムスの飯山茂雄、 トランペットの南里文雄、 サックスのリノ・カブロ を加えた第二次バンド、 そしてさらにメンバーを入れ替へての第三次バンドと再編成して、国産ジャズ流行歌ブームに大きく貢献した。とくにこの第三次井田バンドが各レコード会社で吹き込みを行なひ、スタジオバンドの草分けとなる。


1929年(昭和4)4月

自身が編曲した「東京行進曲」が当時としては異例の25万枚を売り上げる大ヒットとなつたことから編曲の仕事が忙しくなり、バンドを解散してビクターに入社し、指揮者兼専属作・編曲者に就任。



1930年(昭和5)

ポリドールに移籍し、 飯山茂雄 らとともに 「ポリドール・オーケストラ」 を組織して多くのジャズ・ソングを吹き込んだ。


1931年(昭和6)

紙恭輔 の後任として 「コロムビア・オーケストラ」 の指揮者兼編曲者となり、日本コロムビアが発売したジャズ・ソングのほとんどを編曲し、服部良一から“ダンスジャズ・アレンジャーの先駆者”と賞賛された。しかし戦後は米兵相手のリクエスト・バイオリン弾きで糊口をしのぐなど不遇で、晩年は写譜業を営んだ。



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