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鎌倉後期の歌人。法名明釈(みょうしゃく)。正二位 権大納言 。藤原為氏(ため うじ )の子。父や祖父為家に和歌を学び、優美平明な歌風をよしとする伝統的立場にたった。為氏・為世の家系は、二条家と称せられる堂上(とうしょう)歌道家の 嫡流 で、庶流の 京極 (きょうごく)家や 冷泉 (れいぜい)家とは鋭く 対立 した。とりわけ、清新な歌風で持明院(じみょういん)統に信任された京極為兼(ためかね)とは激しく対立し、また 細川庄 (しょう)の領有問題をめぐって冷泉為相(ためすけ)と生涯不和であった。為世は大覚寺統の後宇多(ごうだ)院に支持され、その命を受けて1303年(嘉元1)『新後撰(しんごせん)集』を、20年(元応2)『続千載(しょくせんざい)集』を 撰進 した。娘為子も歌人として知られ、後 醍醐 (ごだいご)天皇の寵(ちょう)を受けて尊良(たかなが)、宗良(むねなが)両親王を生んだ。門下の四天王として頓阿(とんあ)、浄弁、兼好(けんこう)、慶運(きょううん)がおり、為世の子孫や門流は中世歌壇の主流派を形成した。歌論書に『和歌庭訓(ていきん)』、家集に『為世集』がある。連歌も巧みで、その作品は『菟玖波(つくば)集』にみえる。

井上宗雄

鵜飼舟(うかひぶね)瀬々(せぜ)さしのぼる白波に映りてくだる 篝火 (かがりび)の かげ

『井上宗雄著『中世歌壇史の研究 南北朝期』(1965・明治書院)』

[生]建長2(1250)
[没]延元3=暦応1(1338).8.5. 高野山
鎌倉時代後期の 公卿 ,歌人。父は為氏。母は 飛鳥井教定 の娘。正二位,権 大納言 。元徳1 (1329) 年出家。法名,明釈。父の指導のもとに, 御子左家 (みこひだりけ) の嫡流として宮廷歌界に重きをなしたが,大覚寺統に出仕したため,持明院統の天皇の時代には比較的疎外された。嘉元1 (03) 年 後宇多上皇 の院宣で『 新後撰和歌集 』を奏覧。延慶3 (10) 年には 京極為兼 が勅撰和歌集撰者となることをはばもうとして『 延慶両卿訴陳状 』の争いがあったが,失敗に終った。元応2 (20) 年後宇多法皇の院宣で『 続千載和歌集 』を奏覧。建治2 (1276) 年『住吉社三十五番歌合』をはじめ,多くの歌合,歌会に関係し,元亨4 (1324) 年の『石清水社歌合』では判者となった。嘉暦1 (26) 年歌論書『和歌庭訓』を著わし,『和歌用意条々』 (20~26) もその著という。『続拾遺集』以下に 177首入集。家集は伝わらない。 没年:暦応1/延元3.8.5(1338.9.18)
生年:建長2(1250)
鎌倉・南北朝時代の歌人,和歌宗匠。権大納言為氏の子。後宇多天皇以下の大覚寺統に仕え,権大納言に至る。後宇多上皇の命により,嘉元1(1303)年『新後撰集』,元応2(1320)年『続千載集』を編纂。その間,持明院統の花園天皇の即位により,勅撰集選者の座をめぐり京極為兼と対立,延慶3(1310)年『延慶両卿訴陳状』を著す。また浄弁,兼好,頓阿,慶運など為世門の和歌四天王をはじめ多くの歌人を養成。私選集『続現葉集』も編纂するなど,和歌の普及に尽くした。歌論書に『和歌庭訓』があり,『続拾遺集』以下の勅撰集に177首入集。井上宗雄『中世歌壇史の研究―南北朝期―』

(三角洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版 朝日日本歴史人物事典について 情報

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