These interviews were originally published in Faust Vol. 8 in September 2011. The first interview centered on
Legend of the Golden Witch
,
Turn of the Golden Witch
, and
Banquet of the Golden Witch
. The second interview took place after
Alliance of the Golden Witch
'
s release. The third interview centered on
End of the Golden Witch
and
Dawn of the Golden Witch
.
Interview 1
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──前号から『ファウスト』Vol.7の刊行まで案あんの定じょう(?)二年半も空いてしまったわけですが、おかげさまで相変わらず売れていて、そして僕もこうやって定期的に竜騎士さんとお会いすると気合が入りまくるので、これから竜騎士さんが一話出すたびにお時間を頂くことができればなんて思っています。
竜: 恐縮です。
──しかし『うみねこのなく頃に』もEPエピソード1からEP3まで、次々と球筋が変化してきていますよね。
竜: 一気に書いた長編と比べると、『うみねこ』は連載長編という性格がありますからね。今の私がEP1を見ると「この頃の竜騎士はこういう考え方をしてたんだ」なんて感じたりして。人間はものを書くにあたって、そのときそのときの最善を尽くすわけでしょう? たとえばある作品を一年間で書き上げたとしたら、それは一年分の自分が書いた作品になります。だから全八話を連載で四年間で書き上げたとしたら、それは四年間分の自分が総当りで書いた作品になるわけですよ。
──ああ、なるほど。いい話だ……。
竜: ほら、『少年ジャンプ』の名作漫画でも、一巻では絵が違ったりするじゃないですか? 二巻から「え、これ学園ものだったんだ!?」って発展したり(笑)。連載のいいところはそんなライブ感があるところだと思うんです。そういう意味では『うみねこ』は読者からの反応を見たベアトリーチェが手を替え、品を替えて挑戦してくる……という作品ですから、ネット全盛時代にぴったりのライブ感のある作品になるように、と私は楽しみながら書いています。
──まさに連載は「追っかけてこそ」ですよね。僕なんてもはや「『うみねこ』追っかけ連載インタビュアー」ですから(笑)。2ちゃんねるでも「『ファウスト』のインタビュアーはどんだけ竜騎士07信者なんだ!」なんてよく怒られています。「奴はいつも『竜騎士07最高!』としか言っていない」ってdisる人がいる一方で、「あのインタビュアーはそういう芸風だから許してやれよ」って人がいたりして(一同爆笑)。
竜: それこそ『うみねこ』って人によって楽しみが違う作品なんです。前作の『ひぐらしのなく頃に』もプレイヤーが楽しみを広げてくれた部分がいっぱいありますが、『うみねこ』ではそういった部分をもっと積極的に取り入れて、こちら側が「いろんな遊び方をしてくれて結構ですよ」と打ち出していく作品なので、ファンタジーでもあり、かつミステリーでもあるし、あるいはそれ以外のエンターテインメントとして楽しんでいただいても構わない。皆さんの好きなようにしてもらえればいいわけです。
──僕は『ひぐらし』では「目明し編」がいちばん好きなんですが、EP3は少なくとも今までの出題編の中だとベストの出来なんじゃないですか?
竜: ありがとうございます。ええ、私も実は『ひぐらし』では「目明し編」がいちばん好きなんです。それで、『うみねこ』は全編丸ごと「綿流し編」と「目明し編」みたいな作品にしたいなと思っていた部分があるぐらいなんですよ。
──なるほど! さきほど連載ものについてのお話がありましたけど、今回のEP3では魅力あふれる新キャラクターの投入が大きな成果を上げていますね。
竜: そうですね、一気に世界観が変わりました。EP1で点だったものがEP2で線になり、EP3でようやく面になったんです。点と線から面に、つまり図形に化ける瞬間はすごいですよ。さらにここにもう一つ点があったら、次は立体になる。話がもっと広げやすくなりますね。
──料理でいう「びっくり水」みたいに新キャラクターが絶妙なタイミングで煮に立たった釜(=ストーリー)の中に入っていきましたよね。こういった新キャラクターの登場のタイミングっていうのは計りに計って出しているんですか?
竜: そうですね。私はようやく新キャラクターの登場で読者を「上げる・下げる・驚かす」ためのコツがわかってきたところなんです。それに加えて登場人物がどんどん増えていくということはアンチミステリーへの挑戦、クローズド・サークルに対する挑戦でもあるんです。「登場人物が増えるミステリー」ってどういうことよ? という。
──ああ、通常のミステリーでは特定の登場人物から犯人が限定されていくわけですものね。それに反して登場人物が増えていくっていう展開は、確かにアンチミステリーですね。
竜: いわゆるミステリーの「お作法」に反します(笑)。ミステリー寄りの人から見れば、「登場人物が増えるということは真犯人がまだ登場していないということもありうるわけで、これでは推理できないじゃないか」という思考に入るわけです。
──ただ、六ろっ軒けん島じまのオリジナルメンバーの十八人に関しては確かにクローズド・サークルなんだけれども、EP3で「その外側もある」とはっきり宣言しちゃっている。
竜: たとえば私が俗に言う引きこもりのニートだったとします。ずっと親と実家で暮らしていて、仕事にも行かないし遊びにも行かない、親としか顔を合わさないとすればその家は三人しか登場しないクローズド・サークルですよね。そして、もしここに昔の友人が遊びに来たら、展開としては「新キャラの登場」になります。そして、そのように閉鎖的な環境にいる人にとってみれば、外の人と交流ができて「登場人物が増える」ということはファンタジーの出来事なんです。彼らは引きこもっている部屋こそがリアル、つまり現実──ミステリーの世界であって、その世界に人が増えるということは、ファンタジーの世界の出来事なんですよ。
──批評家の東あずま浩ひろ紀きさんってまだ小さい可か愛わいい娘さんがいらっしゃるんですが、先日東さんのご自宅にお伺いしたらその娘さんはやっぱり僕という初見の人間に対して最初はちょっと構えているんですよね。彼女にしてみればきっと「ファンタジーの登場人物が来た!」っていう感じなんでしょうね。
竜: そうですね。未知なる相手でしょうね。
──だけどいったん打ち解けたら猛烈な調子で遊び相手になってくれて、離してくれない(笑)。それこそ冒頭部分で魔女と遊ぶ楼ろー座ざみたいなもので、知らない人と会うのって危険だけど、すごく楽しいんですよね。まさにファンタジー的瞬間!
竜: そうなんですよ。「作中に十八人の人間が登場するからその枠組みの中で考えよう」というのはすごくミステリー的な思考なんです。それに対してファンタジー的な思考というのは「作中の十八人以外で何かが起こりうるかも?」という考え方なんです。
──その「ミステリー思考とファンタジー思考」って言葉、いいですね。
竜: 世界には六十億人強の人がいるわけだけど、我々が実際に出会っている数は少ないわけですよ。学生さんにしたってクラスには何十人もいるけれど、実際の自分の暮らしに毎日関わってくるクラスメイトの人数は十人前後しかいないでしょう。
──うーん、真の意味で毎日コミュニケーションするのはいいとこ七、八人くらいでしょうね。
竜: 会社で大きな組織を率いている人ならともかく、一介の学生さんではそこまでもいかないでしょう。
──これは余談ですけど、KJって言ううちの編集部にいる大学を出たての奴は京都出身なんですけど、彼はまさに「京都の顔」なんですよ。ある作家さんが彼と一緒に京都を歩いていたときのことなんですけど、一ブロック歩く毎ごとに「KJさん、ちわーっす!」「KJさん、元気ッスか!」って次々に声をかけられるんだって(笑)。で、あ、このブロックでは誰からも声をかけられなかったって安心していたらピコーン! ってKJの携けい帯たいが鳴って「KJさん、今一緒に歩いてるの誰っスか!」ってメールが入る(一同笑)。作家さんはもうKJと京都を歩くのは絶対にやめようと思ったらしい(笑)。まあ、これは極端な例ですけど、そう言えば僕は大学時代の知り合いに「人間が一生で出会う人数っていうのは決まっていて、それは約三千人なんだ」って断言されたことがあります。
竜: そんなに人と出会う自信、私は全然ないな。学生時代のクラスが今まで何人だったかって掛け算すると……クラスメイトは今まで千人行ってないですよね。20クラス×40人だって八百人だし、それに職場を足したって千人ちょっとでしょ。
──まさに人と人との出会い自体が一級のファンタジーとして捉えうる「奇跡」なんですよね。
竜: そう、そういうことになるんですよね。地球上には六十億人の人間がいるんだから、六十億通りの思考があるでしょう。でも我々は、さっきの話が本当なら三千~四千人の思考しか知らないことになります。六十億の0・0000……パーセントしか我々は人間の思考を理解できない。インターネットを見たところで大したことにはならないでしょう。それぐらいのことしか知らないくせに、ミステリー的な世界観だけで「世界」を語ろうとするなんて非常におこがましいなと思うんです。
──ふふふ。
竜: だからこそEP3での「赤字システム」こそが究極のアンチミステリー的思考なんですよ。ただ、こう言うとミステリーに詳しい方々からは、メタ視的なミステリーを書かれた先行の作家さんたちを例に挙げて、赤字システムが目新しいシステムではないと指し摘てきされるんですけど。
──それはちょっと浅せん薄ぱくな見方で、確かにミステリーとファンタジーを融合させようとした類例は過去にいくつもあるわけですが、今回『うみねこ』で竜騎士さんがやろうとしているのはアンチミステリー×アンチファンタジーであって、この試みにはおそらくほとんど類例がない。
竜: ミステリーに対するアンチテーゼとファンタジーに対するアンチテーゼが両方入っているような感じですからね。
──竜騎士さんが今回描いていらっしゃるのはアンチミステリー帝国とアンチファンタジー帝国との闘いであって、どちらが勝者になるかはまだわからないわけじゃないですか。その闘い自体が謎になっているわけであって……皆、ちゃんと読んでいるのかなって思う。
竜: これは日本人の悪い癖くせでね、アンチミステリーって言葉はすでに広く提唱されている言葉ですから、「アンチミステリーというのはアレだろ」といった反射的な考え方の人が非常に多いのではないでしょうか?
──そこはやっぱりミステリー原理主義者の非常に狭量なところで、さっきの話でいうところのせいぜい三千人くらいの「ミステリー」の常識で「エンターテインメント」を決め付けてしまっているから、『うみねこ』を自由に楽しめないわけです。……おっ、いいね、ちゃんと本線に戻ってきたね(笑)。
竜: ミステリー原理主義者側の人たちはいったいどこまでヒントがあれば推理を開始できるの? っていうことなんですよ。ママに嚙かみ砕いてもらわないとごはんも食べられないのか、っていうような(笑)。世界六十億人の思考を知りえなければ、我々は思考さえ開始できないのか、と言いたいですね。
私にとっての「ミステリー」
竜: 私にとってミステリーっていうのは本当の正解一つを当てることじゃないんですよ。状況から推定されるすべてを想定することなんです。……何ていうのかな、だから皆が那な須すの与よ一いち状態になっているんですよね。矢が一本しかない、当たらないからもっと近づく、というようにね。結局のところ彼らは目の前のところまで的を持ってきてもらわないと矢を一本も射てないわけだ。
──それで「オチが読めたからこの作品はつまらなかった」とか何とか言うんだよな、いつも後出しで!
竜: そう。「この距離ではミステリーとして低レベル」って非難されるから、じゃあちょっと距離を離しましょうかっていうと今度は「遠過ぎ、遠過ぎ!」って騒ぐ(笑)。ミステリーを熱心に好きな方の中で常に議論になっている議題は「僕の好きな的はコレ」っていう議題でしかないんですよ。
──うーん、確かにそういうことでしょう。
竜: 彼らはずっと自分の好きな的について「近過ぎてつまらない」「遠いよ、当たったとしてもまぐれだよ」的な意見を言うことに終始して、「当たる的」を欲しがるんだけれども、結局一本も矢を射うてないまま終わってしまう。
──何だか切ない話だな~。
竜: 要するにそれは私の価値観からすればミステリーの楽しみ方を間違えている方々なんです。
──竜騎士さんはネット時代のノベルゲーム作者だからそういう感覚をナチュラルに持てるんですよ。今までのミステリーって基本的に媒体が小説で一本線だったから、アンチ・ミステリーでもないかぎり「型」が決まっているんですよね。だからミステリー小説を読むことがミステリーすることだって思っちゃうんです。でも竜騎士さんは違う。最初からネットという新しいコミュニケーションツールを想定して作品を書いている。
竜: ええ。ミステリーはゲーム小説だ、と私は思っているんです。というのは一人一人違う答えを導きだす可能性があり、議論する余地があるからです。
──インタラクティブということですね。でもその可能性の追求に関しては、その消費の方法が「本を読む」だけだと二時間で終わっちゃうんですよね。
竜: そう、しかも下手するとその二時間の間に議論の余地がなくなってしまうんですよ。そして議論の方向が「犯人のトリックがいかにすばらしかったか?」ではなくて「このトリックはフェアか?」「お作法としてどうか?」みたいなトンチンカンな方向にどんどん行ってしまうんですよね。私がこんな偉そうなことを言うとまた批判を受けるんでしょうけど、ミステリーをこよなく愛すると称する方々のレポートをネット上で読んでいても、その中で本当にミステリーの魅力について書いている人にはあまりお目にかかったことがないんですよ。皆お作法の話ばかりなんです。ま、でもこれは仕方がない、ミステリー「小説」は一冊の本の中に答えが入ってしまっていますから。そして彼らの多くは探偵の推理に自分の考えを委ゆだねたまま、小説を最後まで読み進めていってしまうんですよね。
──その探偵の「読み」が唯一絶対だと思っていますからね。
竜: 探偵の推理が始まる前に、栞しおりを挟んでいったん本を閉じて自分の考えを持つ方ってあまりいないんじゃないかしら。どっちかっていうと最後まで読み終わってから「探偵のあの推理には穴がある」とか「この段階でこの発想ができるのは無理がある」とか、あるいは「××が不確定な状況でこの場面へ飛ぶのは描写が甘い」とか……。
──そうそう(苦笑)。
竜: たしかアメリカではミステリーのことを「パズラー」って言うんでしたっけ。私は「ミステリー文学論」はよく読むんだけれども、「ミステリーをパズルする、ゲームする」レポートはとんと読んだことがないですね。日本でいちばん正しく「パズラー」しているレポートは、インターネットのレポートに限って言えば、現実に起こった未解決事件の考察をしている人のレポートです。いくつもの可能性を考察し、本当の意味でミステリーを楽しんでいる。彼らのほうがよっぽど「パズラー」しています。
──なるほど。
竜: そういう観点で考えれば、世界中がいちばん熱狂している本物のミステリーはと言えば、それは「切り裂きジャック」なんですよね。売春婦ばかりが殺されているからきっと男が犯人だとか、医学の知識がある人が犯人だとか。推理する人それぞれが主張が違っていて、読み応えがあって、おもしろい解釈を出している。だから私はその意味においては、せまい意味のミステリー小説よりも案外「切り裂きジャック」のほうが立派にミステリーしてるんじゃないかと思うんですよ。答えがないことが正しいと言ってるわけではないですよ。スタイルとして「切り裂きジャック」に対する論評のほうがまだちゃんとミステリーしている、ということ。
──ミステリーを楽しむためのパワーやテクニックが、すべて作家のサイドに委ねられてしまっていることが問題なんですよね。機械にコントロールされた車みたいに「解決」に向かって淡々と進んでいってしまう。しかしたとえば法のり月づき綸りん太た郎ろうさんの『誰彼たそがれ』では、ある不可能状況に対して、トンデモ推理から物凄い推理までいろんな推理を次々と探偵が繰り出していく。
竜: そう、それが正しい楽しみ方なんですよ。あらゆる考察を楽しむ。
──ただそれは厳密にはあくまで法月さん本人の楽しみであって、僕らは文章を追うことで彼の楽しみを追体験しているに過ぎないんですね。本当は「じゃあこうも考えられるんじゃない?」っていうこと……それこそ「じゃあ○○が他人の○にくっついて三十秒くらいは動けたんじゃない?」なんて考えてみることがなかなかできない。竜騎士さん的にはそんな楽しみ方をしない限り、ミステリーを何百冊読んだってそれはミステリーをしていないということになるわけですね。……ああっ、何かすごいこと言っちゃった(一同笑)。
竜: だから本当にミステリーを楽しめるかどうかっていうのは読み方次第。ものの食べ方だってそうでしょう? ファストフードみたいにガガガガッと食べてしまったらせっかくの懐石料理だって意味がない。ミステリーが、ミステリーを愛する人々にとって茶さ道どうのようなものであったのならば、読む側もやっぱり姿勢や佇たたずまい、空気感を楽しむべきなんです。ところが……何だか違うんだな。「これは茶器が××製じゃないからダメ」とか「まず三回茶碗を回せ」とか。千せんの利り休きゅうには「お茶の前では誰もが平等で、かつ来客を心からもてなしたい」という気持ちがあったはずなんですよね。それがいつのころからか、お茶を振る舞う人がお茶を知らない人に対して威圧するような妙な方向にズレてきてしまってはいないでしょうか。
──作法を知っているから偉い、とかね。でも、それは「おもてなし」ではないですよね。
竜: お茶の作法を知らないなんてあなたお育ちが悪いわね、というような権威付けに使われてしまうことがある。決して茶道が間違っているという意味ではなくて、茶道に対して誤解を持っている人も少なくないということです。そういう意味で千利休の考えを理解している人ならば、茶室の仕様なんかはもっとラフでもいいはずなんです。
──そういえば『ギャラリーフェイク』っていう僕の好きな漫画では、今の時代に千利休が生きていたならば打ちっ放しのコンクリートのマンションで茶会を行うだろうって言っていますね。一面コンクリートの中に一輪の花。
竜: うんうん。だって利休って人は戦場でも秀吉をもてなしたぐらいですから。ケース・バイ・ケースで気の利きいたことをしたんですよ。
「正解」とは何か⁉
竜: 私がいちばん「ミステリーの遊び方を間違ってるよ」と感じてしまうのは「一本しかない矢を外したくない」と言って推理の矢を放ちたがらないことです。「風が吹いていたら当たらないので風が止むまで待って下さい!」「風速三メートルっていうけど、それは本当に三メートルなんですか⁉」って。
──ハハハ。
竜: 「風速三メートルではどれくらい矢がずれるのか先に検証させて下さい! 矢は一本しかないんですから先に検証しないと射てないですよ!」と次々にクレームをつけてきて、結局いつまでたっても射てない。要は推理というのは、その状況で考えられるあらゆる可能性を想定することなんです。ビジネスシーンで考えたら簡単。たとえば初めて取引をする相手の場合はきっと打ち合わせの前に作戦会議をしますよね。「二つ返事でOKが貰えたら問題はないが、渋って代案を提案してくる可能性がある。あるいは話にもならない可能性もある」なんて様々な予想を立てて対策するじゃないですか。しかしミステリー思考に偏かたよりすぎてしまうと、情報が増えるまで想定すらできないことになる。
──最後には「正解」っていう情報がないと想定すらできないわけですね(笑)。推理の推って漢字は推すい敲こうの「推」。理を推したり引いたりっていうのが本来の推理なのであって、今主流になっているのは言うなれば「得理」、皆は理を得たがっているだけなんですよね。
竜: ですからもう一度的当ての例えを出すと、やはり的のど真ん中に当たることが最高のゴールである、このこと自体は私は否定しないんですよ。そして十本外して一本当たるよりは、一本打って一本当たるロビン・フッドのほうがかっこいい、これも否定しません。でもそれがいつのころからか「的に当てる」ことよりも「外さない」ことがかっこいいんだというふうに価値観がすり替わってきたんですよ。そして次第に「推理をするために何本も矢を放つのはかっこ悪い、僕は一本だけ放ってそれを当てるんだ」という極端な考え方になってきてしまったんです。
──ボクシングで言うと勝てる相手としか戦わない、しかも勝つからには綺き麗れいにワン・ツーで倒さなきゃという感じですね。だけどそれはミステリーが小説というメディアで発展したことにも原因があって、単線的なメディアってやはり自然にそうなっていきますよ。竜騎士さんがそういった壁にぶち当たるというのは、竜騎士さんが登場した時代背景と密接に結びついていると思いますね。
竜: そうですね。それで私が常々言ってきたのは、矢は何本射ってもいいんだということです。「『うみねこ』には線や点ではなく面で真相に襲い掛かれ、外すことを恐れるな、いっぱい矢を射ちまくれ」。戦場で一発でパーンと仕留めるなんて『ゴルゴ13』みたいなことはあるわけない。ダダダダダダッと弾幕のように撃ちまくって一発でも当たればOKなんです。だから推理というのは弾幕なんですね。……なんだか『ファウスト』でこのインタビューを読んでいる人は「弾幕」っていう言葉が好きそうだから、あえて多用してみるんですけど(笑)。推理で弾幕を張ってなにが悪いんですか? と。
──弾幕、僕も好きですよ(笑)。
竜: 相手が遠いうちから撃ちまくっていいんですよ。向こうから敵の戦闘機が接近してくる~となったら撃ちっぱなしにしていいんです。
──うーん、こうなってくると、ミステリー小説好きなスピリットこそが最も推理スピリットから乖かい離りしているのかもしれないですね。
竜: それを皮肉ったのがアンチミステリーなんですよ。「ほら皆さん、クローズドサークルなのに登場人物が増えちゃいましたよ? どうしますか、推理を止めますか?」というね。今日の理論で行くと、ダミーの的がどんどん増える、みたいな。とにかく、いつのころからか的に当てることがエレガンスなんじゃなくて、一発で当てて外さないことがエレガントなことだって入れ替わっちゃったんですよね。その結果、多くの人が外さない保証がもらえるまで弾が撃てなくなった。外さない弾って何だよ(一同笑)? 「風が吹いてるから操縦できません!」「敵が襲ってくるかもしれないから撃てません!」とか。何なんだろうな、「いいから撃ってみろよ!」と言いたいです。(一同爆笑)。
──ハハハ。で、最終的には「僕の間合いに合う距離の的じゃない」とか「僕の好きな的の形じゃない」ってすねちゃうんですよね。
竜: 一発で当てたがる「ミステリー・ゴルゴ13」みたいなね。
──「ミステリー・ゴルゴ13」(笑)!
竜: 結果的に彼らは一発しか弾を持っていないから最後まで銃を撃てない。「不確定要素が多いから推理できない」というのは早い話が心の中に弾が一発しかないという証拠なんです。心の中に弾帯を持っている人だったら撃ちながら近づいていけばいいわけですから。
──竜騎士マッチョイズムだなぁ(一同笑)。しかし逆に言ったら「この的を必ず一発で絶対当てろよ、おまえ‼」っていうよりはよっぽど親切ですよね。
竜: クレー射撃って空を飛んでいるターゲットを落とすでしょう。でも実はそれ以前に楽しみがあって、空に向かって鉄砲を撃つだけでもうおもしろいんです。その上的に当たったらなお楽しい、そういうものなんですね。ところが最近の子は的に当てるのだけが「かっこいい」。テレビでヒーローが一発的中させるシーンしか見てないものだから、空に向けて空撃ちするのが恥ずかしい。実際には空撃ちをバンバンするだけで楽しいのに。
──『ひぐらし』だったり『うみねこ』だったりでは、空撃ちを楽しんでいる人が大勢いますよね。
竜: ええ、『ひぐらし』『うみねこ』でそういう考えを理解してくれた方々はすごく楽しんでくれていると思います。私は『ひぐらし』が終わった後に、「推理に点数を付けるとしたら字数がそのまま点数になりますよ」と言ったことがあるんですよ。
──字数が点数?
竜: 推理や自分の考え、感想を整理したテキストの文字数ですよね。当たったかどうかが問題じゃないんです。その中に正解が含まれていなくてもいい。淡白に一言答えだけ書いた人よりも、色んなパターンを考えて、トンデモ推理もして、たくさんの字数を書いた人のほうが上だと思っています。なぜなら「楽しんだから」です。ミステリーはどんなに偉そうなことを言ったってエンターテインメントです。
──さっきの話でいくと、重力があるから撃てないというよりは「重力がおかしいんじゃね⁉」って推理するほうがおもしろいということですね。
竜: そうです。さらに言えば、推理なんてものは撃ちながら着弾修正すればいいじゃんってことです。撃った結果を踏まえて撃ちまくればいいんだから。それなのに皆、最初の一発すら撃てていない。
──そうかもしれないな~……。そりゃそうですよね。編集者でもそう! 編集者はやっぱりたくさん本を作らなきゃダメなのよ。
竜: ハハハハッ、そうなんですか。
──編集者は一ヵ月に一冊、一年で十二冊本を作って初めて一人前だと思います。
竜: それ、今太田さんが良いこと言ってくれました。それが私が言いたかったことです! 数をこなすとどんどんスキルは上がってくるんですよ。
──わかります。まず量をやらないと、質なんて絶対ついてこない。
竜: これは若い子によくある傾向なんだけど、大手会社の大手ゲームばっかりやっていて、自身も大作RPGが好きって人。夢の中ではものすごく巨大な企画を持ってるんだけど、巨大すぎて何から手を付けていいのかわからない。で、結局何も作らずに終わってしまう、そういう人が多いです。それだったらどんな小さなくだらないゲームでもいいから毎日作っていったほうが絶対いい。今の子はまず「一歩」を踏み出さないんですね。自分が飛び越せる良い距離になるまで何もしない。飛んで落ちる、の繰り返しで跳ちょう躍やく力は伸びるものなのにね。
「ミステリーしてるかい?」
竜: 今も『うみねこ』で、「××の状況が分からないうちは推理のしようがない」みたいな書き込みがよくあるでしょう?
──結構よく見ますね。
竜: ああいう方々はすべての推理小説に自分なりの答えが出せないまま、一生を終えていくんだろうなって気がします。
──僕は今、大好きな『銀と金』っていう漫画を思い出しました。画商が「あと一メートル近ければ……ざわざわ」みたいな(一同笑)。
竜: ああ~、あった、あった(笑)。そう、そういう感じ。
──たとえば歌か舞ぶ伎きだってきっと同じなんです。最初は「一緒に踊おどりにおいでよ」くらいの気楽なものだったはずが、難しい顔をして難しくしたがる人たちによって悪あしき伝統や歴史になっていってしまって、踊り手が神み輿こしの上に乗っちゃって……そうなると一般の若い人はもう誰も足を運ばなくなる。
竜: だから私は皆に「ミステリーしてるかい?」と聞きたい。ミステリー文学論を楽しむのもいいけれど、ミステリー小説を本当の意味で楽しんで欲しいんです。最近、うちのゲームをプレイしてくれている人のブログで「××までプレイしたところで考えられるのは~」みたいなエントリーをよく見るんだけど、あれは正しい遊び方ですよ。だから小説を読むときも同じように小まめに栞しおりを挟んで考察タイムを入れるべきなんですよね。
──講談社BOXの『ひぐらし』をずっと追いかけてくれている読者のブログがあって、彼は一巻一巻を読み終わったところできちんと推理してくれているんですよね。過去の自分を振り返って「ココとココが当たってる!」って採点してみたりとか。もちろん外れてるところのほうが多いんですよ(笑)? でも「あっ、ココが当たってる!」 ってすごく嬉うれしそうに遊んでいるんです。
竜: 嬉しいです。「皆さん、楽しんでいますか?」ということが問題なんですから。
「赤字システム」について
──「赤字システム」も、僕はエンターテインメントとして一級の試みだと思います。なにしろ赤字システムっていうのは究極的には、探偵が犯人を心から信じないと推理を発動できないという恐ろしい仕掛けになっているじゃないですか。
竜: でもね、本当のことを言うと、赤字を信用しろっていうのはただの口約束なんですよ(一同笑)。
──僕は戦人ばとらに「事件がファンタジーじゃないことを証明するにはファンタジー側の言うことを信用しなきゃならないっていう微妙な立ち位置にお前はいるんだぞ!」ってちょっと説教してやりたいですよ(笑)!
竜: 本来、ミステリーはファンタジー的な要素を一切排除するべきなんです。でも「他人の証言を鵜う吞のみにすること」とは「ファンタジーを受け入れる」ことなんですよね。その証言が真に正しいかなんてどうやって裏を取るの? っていう話。警察の検視結果だって完璧に正しいかはわからないし、監視カメラの画像は捏ねつ造ぞうされていないかなんて本当のところはわからないですよ。そんなことを言い始めたら刑事はいつまでたっても推理が始められない。解決のためには現行犯逮捕しかありえなくなってくる(笑)。探偵たちが根拠にする依頼者の証言や被害者の手記、そういったものを「正しい」証拠だと疑いもせずに信頼すること自体がすでにもうファンタジーなんですよ。
──ミステリーが抱えている本質的なパラドックスっていうのはそこだと思いますよ。今回の『うみねこ』ではミステリー側の戦人がファンタジー側のベアトの言うことを信じなきゃ話が続かないっていう奇妙な状況が延々と続いていて、EP3では途中からファンタジー側の人間が完全に戦人側に立ってしまうじゃないですか。「お前に信用されたい!」とまで言われて。僕なんかプレイしながらつい笑っちゃったんですけど(笑)。
竜: つまりミステリーファンが欲しがっている大前提がそもそもファンタジーでしかないんですよね。ミステリー派が欲しいもの、現場の完全な状況、完全な証拠、疑問の余地のない密室設定という設定自体が、ファンタジーの保証がないと成り立たない。
──「赤字=魔法」を使わないとね。
竜: そのとおり。
──あの密室には本当は隠し扉がありました! って言った瞬間に……フィクションである以上、未来の竜騎士07が後出しでパッチを当てることはいつでも可能ですからね。
竜: そうです! 依頼人が噓をついていました、依頼人と警察がグルでした、っていうかそもそもこの部屋で事件は起こっていませんでした、って言われたらそこで終わりなんです。そうなると世界中のミステリーは作者が死ぬまで読めなくなる。それどころか作者が死んだ五年後に弁護士が「これを死後五年後に発表するように言われていました」って遺言状が出てきたりするかもしれない。
──××が実は生きていました、なんて言われたらすべてが崩壊ですよね。
竜: だからファンタジー抜きのミステリーなんてありえない。ミステリー好きの方が求めているものっていうのは実はファンタジーで構成されているんです。
──でもそれは最もミステリーの精神から遠いところにあるものですよね。
竜: ミステリーの精神っていうのは、本当は直接見えやしない暗算みたいなものなんです。1+X=5、ここで5−1=? って聞かれたらミステリー的にはエレガントじゃないですか。でも1+X=5っていうからXが気になるんです。それが正しいミステリーなんですよね。つまりは、一本の矢でミステリーを仕留めることは不可能だということです。アーチェリーって屋外でやりますけど、風が止むまで試合を待ってくださいなんて誰も言いませんし、制限時間内に打たなかったらそれでアウトなんです。ですから本来、ミステリーはもっとワイルドで野性味のあるものなんです。
──世界で最初のミステリー小説のオチなんて「犯人は○○○○○○○!」ですからね。
竜: そうそう、あれだけ人間離れしたことをやっておいて、「人間じゃないからできたんですよ!」って、オチとしては最高におもしろいじゃないですか。「人間不可能犯罪」と謳うたっておいて、「だって犯人は人間じゃないんだもん」(一同爆笑)。
──しかもその頃のヨーロッパ社会において、○○○○○○○はまさに宇宙人が登場してきたようなものだったんですね。○○論も、それで否定されていたくらいですから。
竜: 人間には不可能でした=人間以外が犯人でした、という答えはパズル的にはありなんです。人間が犯人だという前提においてすでに視界が狭い。
──確かに。
竜: 密室殺人で犯人は鍵穴から毒ガスを注入して殺したっていうのも、一見トンデモだけどアリ。
──アリですよね。
竜: だから○○○○○○○も卑劣ではないんです。
──よく「竜騎士さんの作品は後出しが多いから推理できない」って言われているでしょ。それを突き詰めていくと「じゃあお前はベアトリーチェの言うことを全部信用するんだな」ってことになっちゃうわけだ。
竜: 後出しが多いからわからない、というなら推理小説はいつ推理できるんですか? という話になる。探偵が「犯人が分かったぞ」というポイントは多くの場合、「この時点までの情報量で大丈夫」という証明になりますよね。それなら私は「ここまででクリアできますよ、と探偵と神が保証したんですよね?」と言いたい。そういう人は、結局一本の矢を放つこともなく終わってしまう、と。
──ああ、何だか切ない! そういうことって人生においてもあるよね! あのときあの娘こに声をかけておけば、とかさ。やっぱり、声をかけた奴が勝ってるもん。
推理をあきらめない!
竜: 赤字システムはある種の思考実験なんです。殺人をする方法は、赤が出ないうちは色々な方法がある。でも戦人がその推理をポロッと話すと「じゃあその方法の前提条件を消して、それができないと仮定しよう」となる。じゃあこういう方法がある、と戦人が別の方法を提示するとまた「じゃあそれも無効にしよう」……。この繰り返しは壮大な思考実験なんです。思考ゲームとでもいうかな。でも「推理を提示するたびにベアトが崩してくるから、やーめた」とあきらめてしまう人もいるでしょ。そういう人は「ここを掘れば金塊が出てくると聞いて掘ったのに、おかしな物が出てきたからやめます!」みたいなもの。宝を探してさえいない。ただ教えられた場所を頭を使わずに掘るだけの穴掘りなんですよね。
──何かしらの未知のファクターが出てくるとすぐやめちゃうんだよねぇ……。気持ちはわかるけれど。
竜: 後出しだから推理できない、が正しいんじゃない。そうじゃなくて、後出しされるたびにその新条件に合わせた新しい推理を考えればいい。ゲームなんですよ。条件がどんどん厳しくなっていく過程で戦人は何種類もの推理を考えることができる。だからこそゲームのレベルもどんどん上がっていく。それこそがゲームなんですよ。
──そういう意味では今回、新しいキャラクターがどんどん投入されたことにも意味がありますよね。新しい不確定要素が出てきたおかげで今までの推理が通用しなくなった反面、新しい推理をすることが可能になった。
竜: はい、ハッキリ言ってEP3に新しいキャラクターを挟んできたのはそのためのナビゲーションです。でも私はその仕掛けすらも、ユーザーさんに導き出してほしかった。だから本当はEP6でやりたかったことも、だいぶ早めて投入しました。
──EP6でやろうとしたことって何ですか?
竜: メタ世界の話です。ところがEP2をやった多くの人は「なんだ、やっぱりただのファンタジーか。推理は必要ないな」って思考停止に陥おちいったんですよ。あんなにEP1では勢いづいていたのにね。EP1ではほとんどの人が「魔女なんて認めない、絶対何かあるはずだ」と息巻いた推理をくれていたのに。
──剣が、剣が……(苦笑)。やっぱり皆あそこで気持ちを打ち砕かれたんですよ。
竜: 私は、ちょうどいいかなと思ったんですよ。あんなあからさまな魔法を見たらちょっとはファンタジーを信じてくれるのかなと。今度はファンタジー批判になりますが、「あなた達の大好きな表現が出てきましたよ。もうファンタジーでいいでしょう?」っていうね。あれはアンチファンタジーの表れです。
──本当に意地が悪いですね、竜騎士さんは(一同爆笑)。
竜: 剣は典型的なファンタジー・ガジェットなんですよ。剣を見ただけで「ああ、この作品も結局ファンタジーなんだ」と思ってしまう。だからあのシーンで皆ポカンとしてしまうんです。EP2が発表された直後は99・9999%の人が推理を放ほう棄きしていましたね。だからEP3をやるにあたって、「ああ、やはり答えを教えてあげなきゃダメなんだな」って思って大幅に展開を前倒しにしたんです。EP3はもっと難しい話のはずだったんですよ。事前の構想を完全にボツにして、ゼロから書き直したんですよ。
──完全にゲームマスター的な感じですもんね。
竜: ええ。だから「EP3に入ってからようやく戦い方がわかりました」って人がちょいちょいいるんですが、私は本当はその戦い方を自分で見つけてほしかったんです。
──いやぁ、ハートマン軍曹だわ(一同笑)。
竜: でも、ゲームの遊び方がわからなければ仕方がないですし、『スーパーマリオブラザーズ』においてAボタンがジャンプ、Bボタンがダッシュって教えないのもどうかと思いますからね。私はコントローラーをいじって「あっ、こうやったら走った」、「こうやったら跳ぶんだ」っていうところから覚えてほしかったんだけれども、「コントローラーの説明書がなければゲームできないよ!」という人があまりに多かったので。
──今、iPhoneについて森もり公く美み子こさんがブログで文句を言ってらっしゃるのと同じですね。「操作がわからない!」って。「いやいや、ボタン一個しかないやん」っていう(笑)。
竜: ああ~(苦笑)。
──でもわからないんだろうとも思うんですよ。僕らはネットでの前情報があるから、なんとなくわかるけど。アップルは操作方法も含めての宣伝をするべきなんじゃないかなぁ。でも、森さんの一件はアップルにとっていい宣伝になりましたよね。
竜: 結果的にトラックバックがついて「こう操作したらいいんですよ」なんて発展していったらそれがマニュアルになるわけですしね。
──そうそう。僕、あれは電通あたりの仕掛けた壮大な釣りじゃないかと思ったもん(一同笑)。
作品はコミュニケーションツール
──電通といえば、僕は今電通の人が書いた『コミュニケーションをデザインするための本』っていう本を読んでいるんですけど、その「漢検DS」のプロモーション戦略の部分にかなり竜騎士さんの世界っぽい事例が出てくるんですよ。今までは広告を打とうと思ったとき、状況があって商品があるから広告を考えるっていう流れだった。だけどもはやもうそういう時代ではないらしいんです。コミュニケーション・デザイナーっていう役職が電通にはあって、その人たちの仕事はある種の文化的な詐さ欺ぎ師しなんです。「漢検DS」っていう商品を売る広告を打つ前にその広告が必要とされる状況を作るんですよ。
竜: ほお~。状況というと……?
──彼らが具体的に何をやったかというと、まず「漢検DS」の宣伝を一切せずに、「今日本人の漢字能力が非常に落ちている」というプロパガンダを懸命にやったんです。
竜: ああ、そこで「漢検DS」が登場するんですね。
──そうです、しかも「漢字の日」に万を持して登場するんですよ(笑)。あらかじめ漢字力が落ちているっていう情報を広めた上で、商品を出す。でも電通の人はあえてその情報と商品を結びつけはしないんですね。その部分は一般消費者に考えてもらう。そうするとそれは、その気づきにたどりついた消費者自身の「発見」になっちゃうからつい商品を買ってしまうんだって。今までは商品と状況を分析すればヒットの秘密が分かったけど、もうそういった段階ではなくって、状況自体が作られているという……。
竜: それは一理あるし、もはや、洗脳に近いですね。
──「漢検DS」のサイトを見つけたら見つけたで、県別の漢字能力テスト結果が出るようになっていて、郷土愛に火がつく仕組みになっているんだけれど、それもあえて一切アピールしないんです。
竜: さすがだな~、やるなぁ電通!
──僕はこれはかなり竜騎士さんがやってることと近いと思うんですよ。しかし、クリエイターが作品を心から楽しんでもらう状況を一生懸命作るのは、詐欺とはいえど、いい詐欺ですよね。
竜: 私は作品はコミュニケーションツールだと思ってるので、読み終わった後にいろいろな立場から意見が言えたらすてきだな、と思っています。私の作品に対してここがダメだ! って批判するのも立派な一つの楽しみ方だと思うし。
──僕が竜騎士さんがすごいなと思うのは、作品で「遊び場」を作っていこうとしてらっしゃることだと思うんです。ただ、竜騎士さんは「砂場」という遊び場を作ろうとしているのに、多くの人は竜騎士さんがその砂場で作った「オブジェ」だけを見て的外れな批判をしているに過ぎないんですよね。
竜: そうです。私は公園と言うのはこうあるべき、とかこうあってほしいという都市公園論をしたいわけではなくて、「お前ら公園で思いっきり遊んだことあるか⁉」ということを聞きたいだけなんですよね。意味もなくどこまでも穴を掘ってみたり、人の作ったお城をぶっ壊してみたり(笑)。そういうプリミティブな楽しさを『うみねこ』を通じて思い出してほしいんですよ。
読者はミステリーを求めているか⁉
竜: 私は「このミステリーがすごい!」の批評やレビュー……つまり「この第一位のミステリーは本当に第一位にふさわしいのか?」という文章をよく読むんです。しかしそういう評論を読んでいると、この人たちは本当にエンターテインメントとしてのミステリーを楽しんでいるのかな? という気がします。
──ああいったものの多くはそれこそ砂場で作ったオブジェにこれは何点、と採点しているようなものだと思うんですよ。
竜: 私はそんなふうに皆さんが正しいミステリーの楽しみ方を忘れてきているから、若いミステリー作家の方々が「本当に正しいミステリー」を書きにくくなっているんじゃないかな、と思いますよ。読者が求めているものはこうだから、そう書かなきゃ、というような嫌な雰囲気があるんじゃないかと。その点において、自分が書きたいものが書けないという悩みは私にもあります。私たちクリエイターは基本的にはユーザーが望むものを供給しなくてはならないので、ユーザーが間違ったものを求め始めたら我々は間違っていると知りつつも間違ったものを提供しなければいけないのかもしれないんです……。
──ああ……。
竜: だから読者が本当にミステリーを求めていればそういったミステリーが出てくるんですよ。ところが今、読者がミステリー文化論の話ばかりしているから、ミステリー論文みたいな話ばかりが出てきているんです。そういった論文的な小説は論理の整合性が最優先で、大トリックの驚きや江え戸ど川がわ乱らん歩ぽ先生が追求したような殺人そのものの猟りょう奇き性のエンターテインメント、そういった面白さが後回しなんですよね。極論を言えば、私はいかにトリック的に美しい密室殺人でも、殺人の方法が被害者の背中にナイフが刺さっていただけならばちょっとおもしろくないんです。これは私が猟奇殺人テイストを好むからなんですけどね。しかも、その猟奇殺人が自殺と思えないような高度なトリックを使った自殺であった、だとなお嬉しい(笑)。今のミステリーは、そういった面白さを忘れてる気がするんですよ。実際には、江戸川乱歩先生のトリックにもちょっと非現実的なものがいくらもあるんですけどね。
──ええ、確かにありますね(笑)。
竜: 現実的に考えれば合理的でない名トリックなんて山ほどありますよ。でもそれらはどれも、結果やビジュアルが非常におもしろい。歌舞伎にワイルドさがなくなっていったように、最近のミステリーは整いすぎて野性味がなくなってしまった気がしています。埃ほこり一つ、塵ちり一つないみたいな。
──無菌化の傾向は確かにあるでしょうね。
竜: そう、まさに無菌化。今、ミステリーはどんどん無菌化して美しいものが正しいという風潮になってきていますよね。バーベキューをしたとして、外で焼いたお肉なんて汚くて食べられないわ、みたいな。でも屋外で肉汁がじゅうじゅうこぼれている肉にかぶりつく喜びを江戸川乱歩先生は熱心に書かれていた。私は戦前の、それこそ昭和初期みたいなミステリーを輸入したばかりの頃のカオスっぷりが大好きなんですよ。あの頃はミステリーと怪奇と科学小説が一本の小説の中に全部入っていて、理想的なカオスになっていたじゃないですか。
ビッグクランチするネット空間
──乱歩の魅力といえば、まさにそのカオス感かもしれませんね。そしてカオスといえば、竜騎士さんは以前、インターネットの発達によって世間に色々な意見が出てきて好ましいと仰おっしゃっていましたが、最近はちょっとそれとは逆の方向へ行っているような気がします。
竜: 確かにそうですね。ネットによって意見というカオスが逆に収束してしまっている。本来はビッグバンで宇宙は無限に広がっていくはずなのに、逆方向に力が作用してビッグクランチしている印象を受けますね。多チャンネル化がいい例ですよ。人類に無限の選択肢しを与えてくれたはずなのに、それによって僕らは規則正しい生活を余儀なくされているわけでしょう。無限の情報から一つを探すことを人は面倒くさがり、その中からどの情報を見ればいいのかを他人に聞くんです。
──そういった欲望がシステムとして供給されたひとつの形が、「はてなブックマーク」。
竜: そうそう。しかもその「はてなブックマーク」だって、ユーザーコメントが百件も二百件もあったらちゃんとは見ないですよね。結局のところ、インターネットの出現で空前の情報社会と言われているのに、下手へたしたら我々は昭和中期ぐらいの情報収集力しかないのかもしれない。
──いや、実際に人によってはそうだと思いますよ。
竜: 以前は皆熱心に口コミ情報を集めていましたから。「会社で聞いてきたけど、こんなのが流行はやってるらしいよ」っていうお父さんの一言がきっかけで子どもがテレビのいろんなチャンネルを見て、その間のCMを見て、それで流行を覚えて……と能動的に情報を摑つかんでいましたよね。今はその当時より遥はるかに情報が動いているように見えて、我々が実際に摑む情報はむしろ限定されて減っているかもしれない。情報は先鋭化するばっかりで、尖とがって一点集中していっているんですよね。
──これは以前に批評家で中国文学者の福ふく嶋しま亮りょう大たさんと話したことなんですけれど、2ちゃんねるは見ない人にとってはカオスに見えるけれども、実はあれほどハッキリ白黒付いている世界はないって。物事を肯定するか否定するかだけの二元論だと。
竜: そうだよなぁ、興味ない板いたなんか見ないですよねぇ……。
──好きなところしか見にいかないし、そのスレッドの中の雰ふん囲い気きも基本的にはパチッと決まっている。
竜: 自分と異なる意見のスレッドには顔を出さないですもんね。自分の好きなニュースだけをクリックして詳しょう細さいを見にいくから、興味のないニュースははなから頭に入ってこない。新聞をペラッとめくった社会欄のほうが情報量が多いのかもしれない。色々なニュースを載せているし、目にも入ってきますから。
──インターネットの情報量は膨大ですけど、たいていの人にとっては情報の流れる方向は一定ですしね。
竜: 要するに先鋭化するということですよね。それもある部分に関してだけ異様に鋭くなるので、自分は何もかも知っているかのような偽いつわりの全能感を容易に得てしまうんですよね。でもそれは栄養バランスのレーダーチャートで言うと、見事に一点集中している偏かたよった状態なんです。多くの人は二つの意見が出た時に、自分が支持する意見しか見にいかない。そして、あたかもその意見を中心に世界が回っているかのように錯覚してしまうんです。我々はITをまだ正しく使えていないんです。
──そうですね。2ちゃんねるの講談社BOXスレッドでもちょっと編集部を擁護するような意見が出るとすぐに「編集部員乙」「本人乙!」って書かれてますもん。それってすごいよな~、と思いますよ。ちょっと都合の悪いことが出たら当事者が出てきたことにして片付けてしまう。
竜: 0か1か、で中間がないですよね。中道っていう考え方がこれほど喪失した時代はないですよ。
──いやしかしそんな時代の中で竜騎士さんはあえてカオスな空間をプロデュースしているわけですから、偉いと思います。
竜: そう、私は世の中はもっとカオスなものなんだということを提示したいんですよね。0と100との間には本当は100以上の段階があるんです。でも今の時代、甘いものはべったり甘くて、辛いものはやたらに辛いだけ。本当はもっと複雑で、甘味の中にもホロリとした苦味があったりするはずなんです。
──コクがありまったりとしていて、それでいてしつこくなく……みたいなね(笑)。しかし、そういった先鋭化現象は先ほどのお話での矢が一本しかない状態と同じですね。
竜: そうですね。矢が一本しかないというのは、つまり意見が一つしかないということ。
──そして他に風が吹いたりすると、その条件を反射的に拒絶しちゃうんですよね。
竜: そう、だって矢がたった一本しかないんですからね……。
カオスな見方を身につける
──その点で『ひぐらし』や『うみねこ』はいろいろな視点に共感して楽しめるようになっている。『うみねこ』のEP3は読んでいくとつい魔女側のほうに寄っちゃって「もういいじゃねえか、ファンタジーでも!」と思ってしまったりするし(笑)。
竜: ふふふふ(笑)。仰るとおり、EP3で明らかにされた『うみねこ』の一番新しい楽しみ方は、ミステリーサイドの目線の楽しみ方もファンタジーサイドの目線の楽しみ方も両方共有できるところなんです。
──チューニングが色々なところに合わせられるんですよね。変な話、さっきもお話にあったようにエピソード3・1~エピソード3・99はユーザーが作ったっていいわけですし。そこがまさにカオスなんですよ。アンチの人はよく「竜騎士さんは自分の考え方についてこられない人を振り落とそうとする!」なんて言っている。確かに竜騎士さんは「俺についてこい!」なんだけれども、でも決して楽しみ方を強制してはいない。自由な遊び場までユーザーを誘導しているだけなんですよね。
竜: それでいて『うみねこ』は『ひぐらし』に比べて、かな~り考え方を親切に提示しています。
──してますね。「この竜騎士07のツンデレっぷりときたらない!」なんて僕は思ってるんですけど(笑)。
竜: 一見するとユーザーに対して見下しているような挑戦的な言葉が目立つんですけれどもね。でも実際は「悔くやしかったらこっちに来てみろよ」「次はこっちだよ」と律りち儀ぎにルートを説明しているんです。
──そうですよね、竜騎士07というハートマン軍曹は皆のペースに合わせてめっちゃ足踏みしているわけだ(一同笑)。
竜: 皆がへばったら、「立ち上がれーっ! 立ち上がらないと撃つぞーっ!」ってかけ声をかけて、皆が立ち上がるまで待っている、足踏みをしながら(一同爆笑)。ですから『うみねこ』は一見攻撃的なキャッチコピーを使ったりしているんですけれども、実は『ひぐらし』より何十倍も優しいんですよ。
──EP3でのベアトリーチェの豹変ぶりなんかもそうですよね。彼女は戦人に自分を信じてもらいたいんですもん。
竜: ストーリー的にはそうですね。ですからミステリーにもファンタジーにも亘わたった異なるカオスな見方を身につけてほしい、というのが『うみねこ』という作品の大きなテーマなんです。
インフォメーション・ストーミング
──僕にとっての『うみねこ』の軸はやっぱり、戦人の視点か真ま里り亞あの視点か、そのどっちを読者が取るのか、っていうところだと思っています。で、僕としては、真里亞の味方をしてあげたっていいんじゃないかとちょっと思ったりするんです。そう思うことで世界が丸く収まるんなら、真里亞の前では魔女がいることにしてもいいじゃないかって。それが僕の『うみねこ』の楽しみ方でもある。
竜: つまりそれはミステリーとファンタジーの両方を理解するっていうことですね。
──そうです。そういう折せっ衷ちゅうのアプローチだって、大人になったらありなんじゃないかなと思います。
竜: うん。世の中には「僕は右目でしか見ない!」「左目でしか見ない!」っていう人が多すぎる。もっと両目で立体視しようよ、と思います。私たちの眼って片目だけでは立体に見えないんですよ。片目で見ているのは単なる平面なんです。頭の中には常に戦人とベアトリーチェがいるべきなんです。ある一つの物事に対して二つ以上の異なる見方をする訓練をするべきであって、それは物事を立体視する訓練なんです。
──両目で見ているからこそ大好きなあの娘にキスもできるんですよ!
竜: ミステリーとファンタジーと、一見相反するものすら自分の中にそろって存在している。そうすると世の中の見方が変わってくるんです。本当は二つの見方でも少ないんですよ。もっともっと混こん沌とんとした、カオスでいいんです。しかし私はどうもね、先ほどお話しさせていただいたようにITの時代になってから「一つしか考え方を持たない」という傾向が加速した気がするんです。
──うーん、まさにそうなのかもしれない。
竜: 公務員時代、私の職場には複数の新聞を読んでいる人が少なくなかったですよ。朝日新聞、読売新聞、さらには聖教新聞を読みつつ赤旗を読んでいる先輩までいましたからね。
──そのカオス感はすごいですね(笑)。
竜: 右にも左にも偏り過ぎないって大切なんです。ですからネットの怖いところは、どんどんその世界に埋もれていって片目の前に覆いがかかってしまうこと。そうなると見えるほうだけに一気にきゅーんと偏っていってしまいます。
──そういった世の中で竜騎士さんが『ひぐらし』『うみねこ』を通してチャレンジしてきたことというのは非常に意義のあることだと思いますよ。
竜: ミステリーとファンタジーという一見相反するものをカオスのままに受け入れるということ。光は波でありまた粒りゅう子しでもあり、その双方を理解しないと光は語れないように、真実もまたミステリーのような現実味と、人の心の動きといったファンタジー的側面を理解しなくてはやはり語れない。
──そっちの世界のほうがきっとより豊かですしね。
竜: そう、結局のところ、今は豊かな視野が失われてきている時代なんです。本当は『うみねこ』をどう解釈するかもすべて皆さんに任せようと思っていたのが、何だか小難しい話になりましたけどね……。
──でも『ファウスト』はもともと限られた人しか買っていないから大だい丈じょう夫ぶですよ。関係ない人は買えないように非常識な厚みになっているので、大丈夫です!
竜: ふふふ(笑)。今の我々はインターネットブラウザの使い方は学校で教えているみたいだけれども、そこから得る情報の取捨択一が教えられていない気がします。そして、私はそもそも「取捨択一」という言葉自体さえも危ういんじゃないかと思っています。数ある情報の中から一つだけを選んで、他は皆捨てろと言っているように聞こえるんです。
──ああ、なるほど。
竜: 様々な意見を集約し、頭の中で混ぜるというブレイン・ストーミングならぬ「インフォメーション・ストーミング」とでも言おうかな。そういう考え方が必要なんじゃないかな。
──おっ、「インフォメーション・ストーミング」! 僕もこれから使っていいですか?
竜: もちろんです。私もたった今作った言葉なんですけどね(笑)。人間はどうしても自分に同調した意見ばかりを取り入れて先鋭化してしまうから、自分と相あい容いれない側の意見も受け入れてみて、物事を立体視したほうがいいと思います。くれぐれもインターネットを片目で使うことは避けてほしいです。我々が今、小学校で子どもに教えるべきなのはインターネットブラウザの使い方じゃなくて、インターネットでの大量の情報をすべてカオスに、未整理な状態でそのまま頭の中に受け入れることなんですよ。
──うーん、なるほど。
竜: 隣となりの人の声がよく聞こえるのは当たり前じゃないですか。それはお昼時に大勢が口々に「スパゲッティー!」「お寿す司しー‼」と注文を叫さけんでいても、たまたま隣の人の「カレー!」という声が大きく聞こえたというだけでカレーが主流だと思い込んでしまうようなもので。インターネットにおいてもすごく熱心に書き込む人と、あまり書き込まずに見ているだけの人がいますよね。そうすると熱心に書き込む人の意見が「大多数の意見」を反映しているように錯覚してしまうんです。その結果、大きな声で誰か一人が叫んだ「カレー!」が大多数の意見である、という間違った情報ができてしまうんですよね。でも、ありのままのカオスにじっくり耳を傾けていくと、「ああ、皆カレーだのスパゲッティーだのお寿司だの色々なものが好きだなぁ」という多様な意見が感じ取れるはずだし、「今はこんなにも混こん沌とんとしている時代なんだな」ということがよくわかるんです。
──わかっていても、それがなかなかできないんですよね……。
竜: ですからやはり視野を広く持ちたいですよね。せっかくこんなに情報があふれているんだから、好き嫌いなく色々な情報を摂せっ取しゅしましょう、ということかな。情報の好き嫌いって、子どもが茄な子すが嫌い、ピーマンが嫌いと避けているのと同じなんですよ。今、学校で教えるべきなのは「色々な情報を読みましょう」ということです。たとえるなら一つの情報を鵜う吞のみにしないようにしましょう、あるいは自分の好きな情報を見たのと同じ数だけ自分とは反対の意見も見るようにしましょう、ということ。それこそ情報の栄養バランスですね。自分に同調している情報はすごく楽しいから、つい読みすぎて贅ぜい肉にくになっていく。でもあえて自分が見た賛成意見と同じ数だけ反対意見を見ていくと、物の見方が立体的になるんです。最初のうちは慣れないので反対意見に対してイラッとしたり「工作員乙」って気持ちになるかもしれないですけどね。
海外のファン
──あ、そうそう! 今日はこの話もしなきゃと思ってたんだ。この間のドイツのフランクフルトのブックフェア、こんな感じでやったんですよ(と写真を見せる)。
竜: おっすごい、かっこいい! 講談社BOXはこんな銀色のブースを作ってやったんですか。
──そうなんです。レナのコスプレをした子もブースに来たんですよ。
竜: へえ~!
──「レナちゃんのコスプレでしょ?」って言って『ひぐらし』のBOXをプレゼントしたら、とっても喜んでくれたんですよ。
竜: ドイツ人?
──そうです、結構、可愛かった(笑)。あ、ほらほら、このイタリアの出版社と今仲が良くって、もしかしたらそこで『ひぐらし』をやってくれるかもしれないんですよ!
竜: ん? この写真は書店ですか?
──いえ、これはそのイタリアの出版社のブックフェアのブースなんです。竜騎士さん、ヨーロッパはすごい! ブースが本当にエレガントなんです。BOXはこれでも結構頑張ってるんですよ⁉ うちは初めて出展したのに、日本のブースの中ではいちばん目立ってるって皆から褒ほめられたんですけど、でもヨーロッパ勢のブースと比べたら残念ながらただのバラックです。向こうは照明のセンスからして全然違うんですよ! ほら、カッコいいでしょう?(と次々に写真を見せていく)
竜: わあ、本当だ。エレガントですね。
──あと、ドイツのコスプレはちょっとゴスと混じっちゃっていて血なまぐさくて、しかも血のりじゃなくて本物の血を塗ってたりするんですよ。
竜: そうか、ドイツはゴスパンクの本場だからね。
──やっぱり日本のコスプレとは誤配が起こってちょっと違っているんですよね。中国の上海シャンハイや杭こう州しゅうに行った時はコスプレが京劇と結びついていたりして。チームを組んで踊らないとコスプレじゃないんですって(一同笑)。ゲームのシーンを再現するんですよ。
竜: おもしろいですね!
──BOXは作っている本についてはとてもエレガントだって言われて、褒められたんですよ。とくにイタリアとかフランスの出版社からは評価が高かったんです。
竜: うーん、でもやっぱりヨーロッパ勢はインテリアのセンスがすごいですね。本作り云うん々ぬんの前に気合が入っている。ロゴもいちいちカッコいいしね。やっぱりヨーロッパはお洒落しゃれだな~!
──そうなんですよね。アメリカはパワフルなんだけど、ただそれだけって感じ。竜騎士さん、こんな感じで世界中でレナちゃんのコスプレをしている人がいたり、雛ひな見み沢ざわならぬ白しら川かわ郷ごうへ行ってみたら中国語やハングルで絵馬が奉納されていたりだとかする状況についてはいかがですか?
竜: あっ、そうなんですか?
──そうですよ、白川郷、各国から『ひぐらし』のファンがいらしているんです。
竜: へえ~、それは知らなかった。驚きですね。『ひぐらし』は書いた当初はワールドワイドどころかコミックマーケットに来た人たちに頒はん布ぷしようとしか思ってなかったんですよ。それがまさか日本以外の文化圏の人に届くことになるとは思ってもみませんでした。そういう形で理解をしてもらえたのはすごくうれしいことですね。それに『ひぐらし』という作品を抜きにしても白川郷はすごく素敵なところですし。
EP4はどうなる?
──さて、ここであえてぬるい質問をしてみたいんですが(笑)、新キャラで気に入っているのは誰ですか?
竜: 私がですか? うーん、色々いるけど……あえて絞ればロノウェとワルギリアが好きですね。
──僕は縁えん寿じぇなんですけど。ちょいブサでちょい可愛いところがいい。
竜: ああ、ただ可愛いだけの子は他にいくらでもいるので、あえてちょっと可愛くない子が太田さんはいいんですね。しかもあの子は生い立ちが良くないので……。
──そうそう! ひねくれてるでしょ? それが目に表れている! そういうところが僕は萌もえポイントだ! と思って気に入った(笑)。
竜: ハハハッ(爆笑)! そういう感じで、萌えの得意な方々がちゃんと萌えキャラ化してくれているんですね。
──さて、EP4はどうなるんですか?
竜: EP4は今まさに執筆中で、文字量だけでいうとようやく半分終わったくらいかな。
──そのボリュームはどれくらいなんですか?
竜: 十五万字。
──うわ! 十五万字で半分か……すっげ~‼ ちなみにEP3は?
竜: EP3で三十六万字くらいです。
──じゃあ今回もまたそれくらいいくかもしれないですね。
竜: まあ、頑張ります(笑)。前回でミステリーとファンタジーの戦い方は見せたので、今回はまた別の側面からアプローチしようかなと思っていますけどね。EP3までとはまた違った世界観になると思いますよ。
──では今回のテーマは何になるんですか?
竜: 今回のテーマは……うーん。難しいなぁ……! そうですね、前回は実はミステリーとファンタジーの激突ではあったんだけれども、かなりミステリー寄りな話だったんですよ。ファンタジーの世界観をミステリーで解釈する方法を教えてしまったわけですので、EP3を読んで一番うれしくなるのはミステリーファンだったんです。ですからEP4ではもう少しファンタジー側に力点を置くんだけれども……うーん、でもどう足あ搔がいてもミステリー寄り……みたいな感じかな。
──縁寿は最初から登場するんですか?
竜: 今回は縁寿も出てくるし、真里亞も出てきますよ。魔女の同盟が出てくることになっています。
──魔女の同盟か。誰と誰が同盟なんだ? っていう話ですね。でも同盟って、破られるためにあるようなものですからね! 今回の推理のラストの××とか、僕は未だに鮮明に覚えてますよ(一同爆笑)!
竜: これまでEP1、2、3ときて三角形を形成していますが、次回のEP4の四点目は同じ平面状には置かれません。前回はベアトと戦人の対決という目線で点が打たれていましたが、今回はそのベアトと戦人という平面軸からすらズレたところに点が行きます。ぶっちゃけて言うと、ベアトの出番も戦人の出番もあんまりないです。
──ええっ⁉ 誰かまた新キャラが出てくるってことですか?
竜: いえ、縁寿の出番が多いし、そして負けないくらい真里亞の出番が多いからです。ま、とにかく六軒島以外での話が非常に多いです。一九九八年の縁寿の物語とかも出てきますよ。
──えっ、真里亞は何歳になってるんですか⁉
竜: 真里亞は一九九八年にはいません。死んでいますからね。
──あ、そうか……。じゃあ若き頃の右う代しろ宮みや金きん蔵ぞうが見られたりするんですね。
竜: はい、今回は金蔵もちょっと出てきますね。あんまり言うとネタバレになっちゃうから怖いんだけど(笑)。最近ネット上で「金蔵が死んでいるんじゃないか」なんて説があるので、金蔵がついに重い腰を上げます。
──「私が出るしかないようだな」、みたいな(笑)。
竜: そう、食後の親族会議には私自ら参加すると宣言して、いよいよ書斎から出るという設定になっていますよ。
──おお、そのサイコロの出目は初めてですね!
竜: ですからこれもキャッチボールですよ。ユーザーから「金蔵、実は死んでんじゃね?」という説が出てきたので、金蔵が姿を現すという(一同笑)。ま、とにかくこれまでとは全く別の目線で物語が進んでいきます。実は最初は「トリニティ」、つまり三位一体というタイトルだったんです。「一九九八年と一九八六年とそれ以前」の三つの時間軸がバラバラに入り混じっていたんですね。
──それはおもしろそうだ、アクロバティックですね!
竜: そのつもりだったんですけれども、書いているうちに時間軸が四つくらいになってきちゃったんです。
──もはや「トリニティ」じゃない、と(笑)。
竜: そうです、トリニティじゃなくなってきちゃったんで、途中から「同盟」にタイトルを変えたんですよ。今回は、主人公と時間軸が次々と大胆に変わります。
──へえ~。また複雑な話になるんだなぁ。
竜: 場合によっては古い古典を読んでいるみたいに「えっ、今誰の物語を読んでるの⁉」って一瞬混乱することもあるかもしれません(笑)。
──あ、でもそれは逆にちょっとおもしろいかもしれませんね。
竜: 確実に言えることは、どの時間軸で誰が主人公であったにせよ、彼ら・彼女らの目的はただ一つ。一九八六年十月五日に何があったのかを教えてほしい、それだけなんです。その日に何があったのか、そして結局その後に何があったのか。現在・過去・未来を知らなくては……な~んて偉そうに言っていますけれども、要するにいつもの話です(照笑)。
──いやー、楽しみでしょうがないな……。
『瓶詰地獄』
──具体的な事件に関わる質問ですが、EP3の時点での延長線上には、EP1の最後で流されていたボトルメールは存在するんですか? しないんですか?
竜: ねっ、わからないですよね(笑)。
──あっ、これは僕、いいこと聞いた気がする! もう付き合いが長いからわかるのよ。これは結構いいことを聞いたはず!
竜: えーっと、EP3~EP4の中でそういった具体的な描写はあります。ただ一つだけ言えることは、EP4の中で「×本のボトルメールが漂着した」という明記はされるんですけれども、これもまた悪魔の証明と同じで、果たして犯人の落としたボトルメールはそれですべてなのかは、証明不能なんです。
──おお、いいですね~‼
竜: 犯人はそれ以上のボトルメールを用意したけれど、海に沈んで漂着しなかった可能性もあるんです。
──うーん。そうするとやっぱり夢ゆめ野の久きゅう作さくの『瓶びん詰づめ地獄』が大きなモチーフになってるのかなって気がするんですよね。竜騎士さんもチラッチラッとインタビューでほのめかしているし、僕もすごく大好きな作品なんですが。
竜: そうですね、私は『瓶詰地獄』という作品をすごく高く評価していて、私の定義によるとあれこそミステリーだなと思うんですよ。ただし今日の原理主義的になったミステリーの論点からすると、残念ながら『瓶詰地獄』はミステリー小説の定義に入りませんよね。答えが明かされていませんから(苦笑)。じゃああれは何ていう小説なの? と思いますよね。でも、僕はあれこそが真のミステリーだと思っています。実はEP4の中で少しね、『瓶詰地獄』にまつわる話を書きたいと思っているんですよ。思ってはいるんですが、話のテンポ上、書けないかもしれない……。
──僕はとくに今回の『うみねこ』に関して言うと、毎回のエピソードのひとつひとつが「竜騎士島」から流れ着いた「瓶詰」のような気がしていますよ。
「竜騎士07」というキャラクター
──そう言えば、最近、竜騎士さんは「クリエイターとしての社会に対する責任」のようなものを非常に強く意識して発言されたりすることが増えてきたような気がしています。
竜: ハハッ(照笑)。
──もっと偉そうに言うと「竜騎士07はクリエイターとして性根が据わってきたな」というふうに感じるんです。
竜: 違いますよ、私はただ2ちゃんの評価が怖いだけですよ(笑)。
──いやいや、その変化の裏に何があったのかっていうのをちょっと聞いてみたいんですが。
竜: ……そんなに変わった? 自覚がないんですけどね。(と、BT氏に振り返る)
BT: いや、変わりましたね。『ひぐらし』のときとは全然違います。作家性・作品性・ミステリー論とか、そういう話は『ひぐらし』のときにはほとんどなかったですもの。『うみねこ』になってからそういう部分が顕けん著ちょになってきたと思います。
竜: うーん、それは単純明快に「意見を求められるかどうか」ですよ。こういう機会が『ひぐらし』のときにはなかったわけでしょう? やっぱり人間って「我思う、故に我あり」なんですよ。意見を太田さんに求められたから、考えた。その結果「竜騎士07はこういうことを考えている」という事実が生まれてきたんです。ですから竜騎士07は生まれたときからこういうことを考えている人間ではなくって、書きながら世間を知り、人を知り、話しているうちにそういう人格が形成されていったんです。竜騎士07っていう人格は、作品を書きながら太田さんや皆さんたちとお会いすることで形成したもの。だから竜騎士07という人格が変わった・生まれた・成長したなどと考えるなら、それしか理由はないですよ。
BT: 竜騎士は『ひぐらし』のときは作品を創っているということの比重が大きかったですよね。今は何て言うのかな、もっとグローバル・スタンダードな態度というか……周りをしっかり見てものを創っているという雰囲気がすごく強いです。それは作品を創りながらインタビューなどを通して新しい性格が形成されてきたからだというのは確かに納得がいきます。
竜: 話すためには考えなくてはいけないですからね。
──でもね、皆が皆そうじゃないですよ! 表現規制の問題に対しても、嵐を見ないようにしていれば、嵐はない! みたいな態度の人も業界には確実にいますから。しかし以前、竜騎士07さんが変わったのは「付き合っている女の子が変わったからですかね~」なんて編集部でのんきに話をしていたりもしたんですが、そんな下げ世せ話わな経緯ではなかったわけだ。
竜: ハハハ。やっぱり、意見を求められたから変わっていったんでしょうね。最近そういうおかしな事件がある度に私のせいだと取り上げられていますから、否いや応おうなしに作品と事件の関係について考えますしね。そんな具合に、良くも悪くも世間に露出することに対して、私自身が揉もまれていったという部分もあるんじゃないですか。それを成長と呼んでもいいですし、新しく生まれたと表現してもいいですし。うーん、かつてはただゲームを創るだけの一人格でしたが、その人格が世間に露出することによって、世間との繫がりのある人間になった。だから常に世間のことを考えるようになった、っていうのが正しいのかな。
BT: でも、お役所時代の経験で基礎部分があったんじゃないでしょうか?
竜: うーん、そう、でしょうね。公務員的思想というとよく「堅い」なんて言われますけれど、私は役所にいたおかげで結構そういう考え方の基礎を身につけたかもしれないです。
──柔軟な考え方を、ですか?
竜: そうです。役所って実は、0と1だけの考え方では解決できないことばっかりで!
──それは意外ですねぇ。杓しゃく子し定じょう規ぎの極みなんじゃないかと、先入観でつい思っちゃいますけど。
竜: ええ。最後に出る答えは一見デジタルなんですけど、そこに至るまでがすごくアナログ。そのアナログな過程が世間のステレオタイプなものの見方のせいでまったく繫がっていないんだけれども、公務員のときほどアナログなことを考えさせられたことはない。正直民間のほうがデジタル的なことが多いくらいですよね。
──そういう意味では人は一度は組織で揉まれた方がいいのかもしれませんね。
N崎:今の話ですごく納得いったんですが、確かに民間ってデジタルで済むんですよね。取引を切っちゃえばいいんですから。
──あ、確かに! 心底ムカついたらそれでもいいかもね。
N崎:でも役所は心底ムカついてもずーっと、とにかく一緒に居続けなきゃいけないじゃないですか。だからこそ役所が成立しているわけで。
竜: 役所っていうのは民間的に考えたらすごく独占業種で、地域で一つしかない店なんですよ。お客は行政を選べない。その行政が嫌なら引っ越すしかないわけで、これってすごいことですよ。
N崎:逃げ場がないですもんね。
──お客が行政を決めているし、行政がお客を決めているわけだから切っても切れないんですよね。この関係は家族に似ていますよね。
一同:ああ~‼
竜: そう、行政と住民の関係は、あたかも家族の関係に似ている。仲が良い悪いはあっても、食事時には揃わなきゃいけない。しかし民間のサービスだと「いつでも好きなときに食事を取っていいですよ」となる。
──しかも選択肢が幾つもあるんですもんね。マックだってデニーズだって、行きたいところに行けばいい。
竜: そうそう。でもその選択の結果、何があっても自己責任ですよというのが民間の思考。逆に役所はそんな食生活していたらあなたの老後が大変ですよ、ご近所付き合いも大事にしましょう、助け合いましょうって言う。皆仲良くしようっていうのが役所の基本的な方針なんですよ。それが稀まれに仲良くできないと、問題に発展するんですね。
──そんな感じで、ずっと社会と向き合ってきたからこそ今の竜騎士さんと竜騎士さんの作品があるんでしょうね。
竜: 先日、ちょうどそういう話をしたんですよ。名めい刺し交換した人からメールが来たんですが、それによると「私も昔は綺麗な絵が描けて、複雑なプログラムを組めることがとても重要で誇ほこりがあると思っておりました。しかし実際に会社に入ってみてわかったことは、それらのすべてを差し置いてでも、『明るく協調性があり、人の話を遮さえぎらずに最後まで聞く』能力がある人間のほうが、クリエイターとしては余程優れているということです」って(一同笑)。とくに、「人の話を最後まで聞く」っていうのが私はすごくおもしろかった。私は内心、「クリエイターに社会性なんて」と思ったんだけれども、でもやっぱりそれがないとダメなんでしょうね。
──確かに会社で物事を動かそうと思ったら……。
N崎:うん、会社だったら間違いなくそうでしょうね……。
──会社だと、その意見が正しければ通るってわけでもないものね。
竜: そうでしょう。椿つばき三さん十じゅう郎ろうの名台詞の中に「よく切れる刀でも鞘さやがないのは刀じゃない」っていうのがあるんですよ。
──ああ! あったあった!
竜: つまり、そういうことなんですよ。刀は切れりゃいいんだろ、ってひたすら切れ味を追求しても、結局、鞘がなければ危なっかしくて持てないんです。
──確かにその通りだ。僕も気をつけよう。
N崎:ふふふふふふふふ(笑)。
──僕、こないだ「こんな小説の売り方をいつまでも続けてるようじゃ、いつまでたっても儲もうかりゃしません!」って……部長が出ることのできる最高の会議で言っちゃった。アハッ。
N崎:そんなことがあったんだ……(爆笑)。
──皆、シーンっとしてた! そこで「構造改革しないとどうしようもない」ってぶちあげたんだけど。
竜: またしても伝説を打ち立てられたわけですね(笑)。
N崎:うーん、ま、まあ……。
──当然、「じゃあお前はどういう構造改革をすればいいと思ってるんだ?」って聞かれると思ったのに誰も何も僕に聞かないのよ(一同笑)。「こいつが話すとヤバいから、もう話さなくていい!」みたいな空気になっちゃって……こっちは一生懸命アップしてるのに(一同爆笑)!
竜: ハハハ。太田さんは生まれる時代が時代だったら、きっと二・二六事件とかに参加していたでしょうね。
──間違いなくしていたでしょうね、「昭和維新、マジやるしかないっしょ!」なんて言って(笑)。「陛下は何な故ぜ出てきてくれないんだ⁉」(一同爆笑)。あとは、終戦時の陸軍にいたら、「今から玉音放送の入ったレコード(玉音盤)を取り戻すんだ!」なんて画策していたでしょうしね……。
竜: ハハハ。私だったら飛行機に物資を積みまくって、さっさと郷里に帰っていますよ(一同笑)。
(二〇〇八年一一月、都内にて)
Interview 2
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──突然ですが竜騎士さん、のっけから太田の人生相談、させていただけますか。僕は今、出版界の今後についてずーっと考えつづけているんです。
竜: と、仰おっしゃいますと?
──今の出版不況って、出版界艦隊っていう大きな艦隊の中の○○丸とか○○丸が撃沈しているわけじゃなくって、「戦艦大和やまと」みたいな「戦艦出版」の○○区画とか○○区画に浸しん水すいが始まっているような状況であって、となると、僕も同じ艦に乗っていることには変わりはない。ビジネスモデルに大きな違いはないわけですから、このまま座視しているだけならいずれその水は僕の位置しているところまでやってくるだろう、と。
竜: うーん、サバイバルしていくためにもまず努力の方向を打ち出していかないといけませんね。たとえば、角川書店さんは京都アニメーションさんと連携を強化してるじゃないですか。これで角川さんはメディアミックスに生き残りを懸かけて全力で取り組んでいくという雰ふん囲い気きがぐっと出てきましたよね。これからの京アニは角川さんの作品ばかりになるかもしれませんよ。
──うーん、脅威ですね。しかし世間は猫も杓しゃく子しも「京アニ京アニ!」って(笑)、僕も実際にすごいと思うけれど、みんなは本当にそのすごさをきちんとわかっているんでしょうか?
竜: 日本人っていうのはブランド志向の民族で、だから誰かから何が良いかを教えてもらわないとダメなんですよ。
──そういえば、今年(09年)の夏はアニメーションでいよいよ竜騎士さんと対決なんですよ!
竜: そうですね、西尾維新先生の『化物語』アニメ化おめでとうございます。
──ありがとうございます。そして、『うみねこのなく頃に』のアニメ化、おめでとうございます。そうそう、僕は先日、京アニの『涼すず宮みやハルヒの憂ゆう鬱うつ』を見返したんですよ。でもね、今となってみるといったいどこがすごいのかが極めてわかりづらいアニメだな、と感じました。「ライトノベルの一人称饒じょう舌ぜつ体たいをアニメでやるならこうやるべきなんですよ」っていう正解を京アニはハルヒでいきなり出してきたわけで、だけどそのハルヒ以降はその京アニの文法が業界全体のセオリーになってしまったから──京アニの文法をパクってライトノベル原作をどんどんアニメ化するっていうのがこの何年間かのアニメ業界のトレンドだったわけで──だから今、ハルヒのすごさって極めて認識しづらいものになっている。
竜: そうですね、いまやライトノベルはメディアミックスの尖せん兵ぺいみたいなもんですからね。
──しかし今、本格的なメディアミックスの前に原作が十万部以上売れているのって西尾さんがほとんど最後ですからね。もう各社、弾が尽きちゃっている。これからどうする気なんだろう。
竜: 各社のコンテンツに対する接し方っていうのには二種類あって、魅力あるコンテンツを一緒に盛り上げてさらなる魅力を作り上げていきましょうっていう接し方と、このコンテンツが儲もうかっているみたいだからウチもどーんと投資しますよっていう二種類の接し方があるんですよ。ただ、後者みたいな接し方だと、集まってくる原作も必然的に、未来を見つめた野心的な作品よりも、良くも悪くも今だけを読み取ったような作品を集中的に集めることになってしまいます。早い話がよく似た作品ばかりになって、一つの時代が過ぎてしまうとそのすべてが一斉に旬しゅんを過ぎてしまうわけで。
──レミングの行進になりかねないわけですね。
竜: だけどきっとやっぱりみんな、ハルヒの第二期を見るんですよ(笑)。太田さんも見る、私も見る。ファイナルファンタジーやバイオハザードだってそうじゃないですか。ああいったブランド化したシリーズは、これからもずっと皆が買い続けるわけですよ。
──しかし竜騎士さんが今仰おっしゃったように、メディアミックスするときにはその行為に愛があるか愛がないかが手に取るようにわかりますね。
竜: だから私はメディアミックスの仕事をするときには、最初に必ずそういった愛の話をさせていただくことにしているんです。でも、クリエイターさんに対しては常に愛で接していくんですけど、契約書締結のときには愛だけじゃ語れないし(笑)。難しいところなんです。
同人、商業、新時代!
──今、時代が大きく変わっていって、奈な須すきのこさんや竜騎士さんが同人ゲームの枠組みを変えたような、システムの枠組み自体をチェンジするような方策を出版界のみならず様々な業界が打ち出していかないといけないんでしょうね。
竜: 同人界で奈須さんから始まって私につながっていった線は、奈須さんが最初にぶつりと錐きりで穴を開けて、その穴から私がカッターで線を引いて切り開いてきたようなものだと思うんです。その結果、奈須さんが登場する以前の時代より今のほうがずっと、優れた作品に注目が集まりやすい環境ができたと思っていますよ。同人界は、音楽でいうところのインディーズくらいの位置づけにようやくなってきたんじゃないかと感じています。やっぱり、最初に奈須さんがずぶりと穴を開けたのが何よりも大きかった、あれで何かが確実に裂けた。私は確かにその穴から線を引いたとは思うけれど、最初に奈須さんに穴を開けていただけなかったら私は線を引けなかった。そして線を引いた私は今、「ああ、新しい時代が始まったな」と思っています。
──具体的に言うと?
竜: 例を挙げると、ぶらんくのーと様の『ひまわり』や『コープスパーティー ブラッドカバー』(注1)の登場ですね。私が奈須さんから受け取ったバトンがようやく次の人たちに渡った気がしました。そして裏を返せば、奈須さんのスタートがなかったら、『ひまわり』も『コープスパーティー』もなかったし、もちろん私もなかったかも知れない。こういう良い連鎖が続いていけば、私は同人界の未来は明るいのかなと期待しているんです。
──ただ、たとえば、奈須さんや竜騎士さんを僕が商業の小説の世界に引っ張り込んだ結果、ノベルゲームを書いている人は小説を書いてもおもしろいものが書けるんだということが世間に周知できたり、あとは舞まい城じょう王おう太た郎ろうさんや佐さ藤とう友ゆう哉やさんみたいに、講談社ノベルスから出てきたけど三島賞を取ったり、芥川賞の候補になったりして──そんなふうに僕は一貫してジャンルの境界を広げるような仕事に積極的に取り組んできたわけですけれど──それって今となっては晴れがましい気持ちと虚むなしい気持ちとの両方があります。意地悪く見れば、それはただラベルを貼り替えただけで、結局、質的転換は成されなかったじゃないかと。
竜: 私たちの世界における太田さんのいちばんの功績は、ゲームシナリオライターという人種を商業の小説の世界に引き入れたこと。これは最大の功績ですよ。ゲーム業界っていうのはご存知のとおり、戦後日本の文学カーストの最下層の存在ですから。太田さんはそこから才能を汲くみ上げてきたんです。『ファウスト』や講談社BOXの存在意義のひとつは、そういうものだったんじゃないですか? だからね、その出発点として太田さんが奈須さんの『空の境界』を講談社ノベルスで出したということには計り知れない意味があったんですよ。
──ありがとうございます。ただ、僕が今後考えていきたいのは、もう一段レイヤーが高いところでの奈須さんや竜騎士さんの評価なんですよ。あのころの奈須さんや竜騎士さんは同人の世界のみならずゲームの作り方も変えたと僕は思っているんです。集団になって百人二百人で作るものなんですよっていうのが常識だったゲームの作り方のシステムが、実は小説のように個人の才能をも世に問いうるフレキシビリティの高いものなんだ、ということをお二人は見事に証明したと思うんです。世間はそこにもっと注目してほしいな。
竜: そうですね、我々と角度は違うけど、携けい帯たい小説の出現もそうですよね。要するにインスピレーションさえあれば携帯でも小説が書ける、という。
──今の出版界に求められているチェンジも、そのレベルのものが必要なんじゃないかと思うんです。どの作家を世に出したらいいかとか、どの世界から才能を持ってくればいいかとか、そういうレベルでの解決策では今の出版界の問題はきっと解決不可能なんですね。つまり、今までの僕の働きではだめなんです。もっと仕組みの根源のほうに近い働き方をしていかないと。
竜: しかし、太田さんがゲーム業界の人間を小説界に連れてきたっていうのは、ただ誰かを連れてきたっていうより他の沼から水を引いてきたみたいな、堰せきを破ったっていうことだと私は感じていますよ。
──ありがとうございます。ただ、今後は、そのもっと大きいバージョンを、さらに身みも蓋ふたもないような感じでやらないと、もう出版界には先がない気がしているんです。
竜: うーん、まったく他人事で恐縮なんだけど、奈須さんが別ペンネームで堅気の小説新人賞に送って大ヒットして、全然知らないふりをして「僕は奈須きのこと対談したい」ってリクエストして対談の席を作って、その席で初めて二人が同一人物だってカミングアウトするっていうリチャード・バックマンみたいなことをぜひやってほしいな(笑)。
──それはすごい。まさに『ファイト・クラブ』ですね(笑)。そして奈須さんなら、実際にやってしまえるだろうと思えるところが逆に虚しさを感じるところなんですが……。僕はBOXの部長職を退しりぞいてからずっとそんなことを考えていて……端的に言うと僕、次は出版社をやるしかないんですよ。
竜: それはすごいじゃないですか。
──僕は『ファウスト』では新しい未来の文芸雑誌の形を世に問うて、それなりに反響もあったと思うし、講談社BOXでは新しい未来のレーベルの形を打ち出そうと思ってやってきた。でも、これ以上のことをやろうと思ったら、新しい未来の出版社の形にチャレンジするしかないじゃないかと。
竜: 太田さんの考える未来の出版社の形か……いったいどんなものなんでしょうね。
──つらつらイメージを浮かべながら、『うみねこ』のEPエピソード4をやっているわけですが(笑)。
竜: えらい(笑)!
竜騎士07の仕事の流儀
──……まあ、そういうことも考えつつ、『ファウスト』もやらなくちゃ、と。しかし今年の竜騎士さんは新作ラッシュですね。なんと三つも新作が出る。
竜: 実は『おおかみかくし』は去年(08年)の二月に書いてあったんですよ。だから作業的にはもう終わってる話なんです。世間から見たら、私は同時に三つも仕事をしてるように見えているんですけど(笑)。
──作業量的にはかなりのボリュームがあったのでは?
竜: 『おおかみかくし』での仕事は最初は監修だけの予定だったんですけど、監修していたら力が入ってフルリライトに近い状態になってしまいました。バババババと書き出したら止まらなくて、全編リライトした話も何本か……。あれはそもそも私が以前から温めていた企画で、KONAMIさんがお話を持ってきてくださったときに「じゃあこの企画はどう?」と提出したものなんです。ただね、KONAMIさんはコンシューマー・ゲーム会社だし大きい会社なので倫理にはすごくうるさい。だから私は企画を投げるだけ投げて、「実現が難しいようだったらどうぞ蹴けってください」って宣言していたんですけれど、KONAMIさんは見事に通してきて…! 私は内心、蹴ってほしかったんです。
──な、なんででしょうか(笑)?
竜: だってKONAMIさんと話をしていたら『おおかみかくし』の世界がどんどん膨ふくらんできて、「ここまできたら俺が全部を書きたい」っていう欲望が芽め生ばえてきたんです。当時私は『うみねこ』の準備に入っていたので、実際に書くのは難しいと感じていたし、KONAMIさんにもそうお伝えしていたんですけど、始まったとたんに牙きばを剝むいてしまった(笑)。二、三ヵ月は集中してやりましたね。
──うーん、よく『うみねこ』を出せましたね!
竜: 『おおかみかくし』は水面下で書いていたので、いい意味でフラストレーションがたまって『うみねこ』に集中できたんです。「はやく『うみねこ』を書きてー!」っていう感じで。『リライト』も同じ効果がありましたね。『リライト』はいわゆるPC恋愛ゲーム的世界観のゲームで、私としては他のライターさんとの競演かつ真しん打うちが私じゃないという初めて経験する状況なので、やっぱり良い意味でのフラストレーションがたまった。それが『うみねこ』で爆発しましたね。
──『グラップラー刃バ牙キ』の板いた垣がき恵けい介すけさんに、「俺は『餓が狼ろう伝でん』を描いているときは『バキ』に負けないおもしろい漫画を描き、『バキ』を描いているときは『餓狼伝』に負けないおもしろい漫画を描き……そのループで俺の漫画はその両方がものすごくおもしろくなった」っていうすごいマッチョな発言があったのですが、そういう感じですか?
竜: いや、それには負けますよ、さすがは板垣先生です(笑)。ただ、やっぱりいろんな仕事をやるとすごく勉強になるんです。『リライト』では田た中なかロミオさんや麻ま枝えだ准じゅんさんといった他のライターさんの文体に間近で接して勉強になりましたね。
──やっぱりライバル心が湧いてきますか?
竜: こういうことを言うと大おお仰ぎょうに聞こえるかもしれないけど、別にライバル心は感じません。それよりも「他の人はこうやってるんだ!」という深い興味が湧きましたね。そういえば、最近敵対心って湧かないな……怒りがない。よくないよくない! そうそう、田中ロミオさんって作品を必ず最後から書き出すって仰っていて、すごいショックを受けて。
──あ、わかる。ロミオさんはまず最初に百パーセント完璧に構築しないと書けない人なんですね。
竜: だからこそ伏線たっぷりの序盤が書けるんですね。麻枝准さんは逆に、インスピレーション優先で思いついた端からバラバラ書いて筆が止まったらそこで止やめてまた他のことを書き出すっていうすごいアクロバティックな書き方をするんですよね。
──麻枝さんは一パーセントの進しん捗ちょくをランダムに百回積み上げるのか。竜騎士さんは一パーセントの進捗を百回繰り返して完成させる感じですか?
竜: そう、私は徹てっ頭とう徹てつ尾び順番どおりです。なぜかっていうと、順番に書かないと私はキャラクターの心の動きがわからないから。私はラストから書いていったら、スタートと繫がったときにキャラクターの心の動きが一致しないと思うんです。
──物事は原因があって経過があって結果として現象があるものですからね。
竜: だから『ひぐらし』や『うみねこ』を途中の段階で読者に見せられるんですね、なぜなら順番どおりだから。
──でもその辺のことで言うと、たとえば今回のEP4では戦人ばとらの「6年前の罪」の部分をちらっとでも書いてから書き始めてるんでしょうか?
竜: いいえ、そういう大本の設定はプロットの部分で決めているっていうだけで、すでに書き終えているという意味ではありません。私は本当に、徹頭徹尾順番に従って書いていくタイプですので。ですから、「あれ、あのときああ書いちゃった!」っていうふうには巻き戻せません。そこが連載の怖いところなんですよ。連載じゃなければ、「ここで論理がぶつかったね、直そうか」、なんてこともできるんですけど、連載は出ちゃったものに関して修正できませんからね。だから非常に慎しん重ちょうになりました。
──雑誌連載の小説や漫画だと、単行本になるときに修正が多少は利くんだけど、竜騎士さんの仕事はそういうわけにはいかないですからね。
竜: そうですね。
──もう少し規模が小さければね、コミケで出した後に、一ヵ月くらいしてからパッチをあてたりして直せるんでしょうけど……。
竜: パッチなんて、誤字脱字くらいしかできないですね……。
──でもまず、『うみねこ』は今回のEP4で出題編が終わりましたね。本当にお疲れ様でした!
竜: ありがとうございます、今いよいよEP5を十五万字くらい書き終えたところです、これでやっと半分くらいで……。アニメの収録もいよいよ始まりまして、製作進行速度が七分の一、低下しています。毎週一回のアフレコにはしっかり立ち会っていますからね。これが『ひぐらし』の場合だと、アニメの後半になってくると、演技指導が声優さんに叩き込まれてますからほとんど立ち会うこともなかったんですけど、『うみねこ』はまだ始まったばっかりですからね。でも、さきほどの板垣さんのお話じゃないですが、いろんな仕事をしてると本当に勉強になります。私も『ひぐらし』のアニメに携わったときより、『うみねこ』で仕事させてもらってる今のほうがずっと多くを学んだ気がしています。
──と、仰おっしゃいますと?
竜: ここでダメ出しをしなければ変更が間に合わないとか、だから裏を返せば、この段階に至ったら、もう文句をつけるべきではない、みたいなタイミングの問題ですね。それを『うみねこ』で新たに学びつつあります。いちばん良くないのは言うべきタイミングを逸しちゃったとき。世の中には「いまさら言われても」、っていう言葉があって、言うべき時期を逃したものは、飲み込むべきなんです、それが大人なんですよ。いったん了承したものを後からぐちぐち言うのは、社会人として許されない。
──ああー。最悪なのは、そのときは黙ってたくせに後から突然ねちねち言い出すみたいな人ね。
竜: もちろんね、恨うらみや失敗は覚えてていいんですよ! それは次の機会のときにハッキリ言えばいいんです。だから、次回の監修のときに、「前回は黙ってましたけど、今回はまだ間に合うんだからこうやりましょうよ」ならあり。
──そうやって、少しずつ関係を良くしていくわけですね。
竜: しかし、私は馬の合わない編集者さんとの付き合いというのは想像ができないな。
──それはきっと運がいいんですよ(苦笑)。
竜: 私にとって編集者さんって、基本的には版権をお預けして、上がってきたものをまたうちで管理するって感じだからかなぁ。
──多くの場合は、作家さんってそういうふうには考えられないんですよ。やっぱり徹頭徹尾「自分のもの」なんですよ、作家さんからしてみると。メディアミックスするっていうのは株式公開みたいなもので、究極的には自分の作品が自分だけのものじゃなくなることなんだけど、多くの作家さんはそれが理解できない。
竜: 私にとっては「預ける」っていう感じですね。サラリーマン出身だから、メディアミックスは純粋に委い託たく契約という契約行為だと思ってます。
──大人だわー。
竜: 私は、餅もちは餅屋だと思うんですよ。門外漢が口を出せるところと口を出してはいけないところがあると思う。映画の脚本に関しては、たとえ監督さんや脚本家さんが私の倍も生きている貫禄のある人だろうと、原作者の立場で徹底的に一ページまるまる×を書いてその裏側の白紙にびっしりと文章を書いて送り返すこともあるんです。ただね、いざ収録現場に至ったら、そこでは私は外と様ざまなんだから余計なことを言うべきではない。菓子折り持ってにこにこ笑って見てればいい。監督からガヤに混ざってみますかって言われたら喜んで混ざればいい。監督が現場でカチンコ握ってる真剣勝負の場で、原作者が演技に関してああだこうだ言い出したら監督の顔を潰つぶしてしまいますから。
──うーん、すばらしい。だけど、逆に言うと、自分の作品を自分の生身の体の延長として捉えられる感性だからいいものが書けているという作家さんも多いんですよ。そういう人は、やっぱり良くも悪くも作品を他人に預けられないし、預けるべきではないんだと思うな。
竜: 私にとっては、書くときはナイーブに創作家の感性で書いてますけど、書いたものをお預けするのはお仕事の領域ですからね。
──往々にして対応が極端になっちゃうんですよね。一切何もやらないか、べったりくっついてしまうか。
竜: 私は常にボーダーラインを引くようにしてるんです。このラインまでは徹底的にお付き合いする、しかしそのラインの先からは相手を信頼する、と。信頼のボーダーラインです。私にとってメディアミックスの相手とのお付き合いは信頼を作っていく過程なんですよ。たとえば映画の監督がそう。脚本のやりとりを通じてお付き合いさせていただいて、「そこ」からは信頼してお任せする、でも裏を返せば「そこ」までは信頼していないと言い切ってもいい。今日は太田さんをこの私の部屋にお招きしてお話ししていますけど、それは太田さんが私の信頼のボーダーラインを越えた人だからなんですよ。もしこれが今日初めて太田さんがいらっしゃったのなら、我々はどう転んでも近所のファミレスでお会いしていたでしょう。
──実際に初めて会ったときは秋あき葉は原ばらでしたよね。
竜: そうそう、初めてお会いしたときはそうでしたもんね、つまりそういうことなんです。でも最終的に太田さんをはじめとする講談社BOXのみなさんと仕事を通じて馴染みになって、自分の部屋までお招きしているわけです。だからやっぱり信頼のボーダーラインという一線があるんですよ。そのラインを越えた信頼できる人にだけ作品を預けていると、心が軽くなるんですよ。
──FPSでもありますよね、俺の右側はお前に任せた、みたいな。
竜: そうですね、信頼して背中を預けられる。そうなると、私は安心して目の前の仕事に集中できるんですよ。背中も心配、前も心配ってきょろきょろしているとなると、まるでソロプレイのFPSみたいな状態じゃないですか。
──ハハハ。
竜: 私も色々あったんですよ。『ひぐらし』のメディア展開もあったし、『うみねこ』のメディア展開もあるし。たくさんの人とお付き合いさせていただいて今日までその信頼を築き上げてやってきたわけで、初めて『ひぐらし』をアニメ化したときに比べたら、はるかに気楽で、それでいて前回の経験を生かしたクオリティの高いものになりつつありますよね。
──いいですね! それは本当にすばらしいことです。
竜: 逆に、私が信頼していないと相手も私の信頼に応えようとしないと思いますよ。「君は信頼できないので僕が全部監修するから必ず全部持ってきて」っていう立場を貫いちゃうとね、相手は自動的に、原稿は全部あの先生に見せよう、そのかわり、あの先生には一度見せちゃえば全部通る、という流れになっちゃう。つまり、自分の判断なんか必要ない、全部先生にお任せしようというトンネル精神になっちゃうんです。そうすると、その先生は百パーセントの監修作業を続けるわけで、イライラだけが募つのっていく。しまいには、持ってくる編集者の顔を見るだけで、「ぐがー! それくらい自分でやっとけー」って言いたくなるわけだけど、編集者からすれば「先生が見てくれる約束だったじゃないですか!」っていうことになっちゃう。
──「集めて編あむ」べき「編集」者が、まるで伝でん書しょ鳩ばとみたいな仕事になっちゃうんですね。
竜: そう、子どものお使いですね。
──それには給料払えない(苦笑)! だけど、最初にこちらから信頼してあげないと信頼が生まれないっていうのは確かにその通りなんですよね。
竜: もちろん初対面で信頼することはありえませんよね。お付き合いしていく上で、堅いところからスタートして、相手が信頼に足るかどうか、相手の仕事を見させてもらって。私はそういった慎重なタイプですので、信頼を見る第一段階として愛を見る。
竜: 相手が私に対して……私の作品を愛してくださっているかどうかの愛を見る。これは本当に間違いない、いちばんいい識別方法。相手が私たちに関心を持ってくれてるか、愛してくれてるか。愛を持っている人の仕事はすばらしいんです。私はあちこちで言ってるんですけど、愛のある二流は愛のない一流に勝る、と。相手に愛さえあれば、たとえ今その相手がちょっと未熟であったとしても、ほんの一、二回のリテイクで良くなってくる。愛のない一流は何回リテイクを出しても何も変わることはない。そして、愛のない二流は地獄です。愛のない二流はこちらがお金を払ってでもお引き取り頂きたいですよ。
──僕はね、おもしろがっている人だけでやるのがいいと思いますよ、ものづくりって。興味がない人にとってみたら、世界の傑作だってただのゴミなんですから。小説やイラストだって、ただのインクのシミみたいなもんじゃないですか。おもしろいと思っている内輪の人だけでがんばって作ったほうが、結果、遠くまで届くようになると思いますよ。
竜: やっぱり愛だね、愛がなきゃだめですよ。私はね、お仕事でお付き合いをするときに、できるかぎり相互にハッピーな結果になるように終わりたいと思ってるんですよ。早い話が相手を儲けさせてあげなくちゃいけない。うちに関わったおかげで彼の事業に利益が出なくちゃいけない。じゃなかったら、愛だけじゃ語れない。みんなボランティアじゃないんだから。だからうちに協力して手伝ってくれてる人がその見返りを得られるような環境じゃないといけないんです。
──大人ならそうあるべきなんでしょうね。子どもって、たとえリターンが何もなくても楽しい時間が次々に生まれてくるんですよ。それは無限の錬れん金きん術じゅつですよね。大人はもう、そんな魔法は使えないんです。
メディアミックスの要諦
竜: 原作者の方の中には、僕が作ったコンテンツから出るお金はすべて僕のものであって、それを他の形で抽出する奴らは僕の権利を侵害しているというような、ある種の契約拒否症の人も稀にいらっしゃいますよね。
──そうですね、いますよね。ちょっと意地悪に言うと、自己愛の延長だけで作品を作っちゃっているような人。それならそもそも、一切メディアミックスに手を出さなければいいんですよ。そういう人は、心の丈たけにあった作家生活を送ったほうが幸せだと思います。
竜: うちの考え方は「愛のあるみなさん、どうか一緒に作品を盛り上げていきましょうよ!」ということに尽きますね。たとえば、コンシューマー・ゲームを作っている方たちがPS2でうちの作品を出してくださる、どうもありがとうございます、ということになったら、もちろん徹底的に打ち合わせをして、信頼できたら後はお任せする。そうすると我々は、自分の作っている同人作品に完全に集中しながら、同時に他方ではコンシューマー・ゲーム化が進行する。彼らは私たちにできないことをしてくれたんだから、それに見合う対価があって当然だと私は思うんです。
──そういう感覚が、だんだん通じないような世せ知ち辛がらい世の中になってくる気がします。
竜: 私たちの世界ではメディア関係の契約をすると搾さく取しゅされるっていう神話が長いことあって、かなり厳しく、高圧的に取り引きしている方も時にはいらっしゃるということですよ。
──今、すごくギスギスしちゃってるんですよね。それって、さっき僕が相談させていただいた出版界の制度疲労みたいなところに密接に繫がっている気がする。しかし、お互いに最終的に利益が出ると気持ちがいいっていうのは確かにあって、そういう関係じゃないとうまくいかないですよね。
竜: 物書きと編集者さんの関係は、明治の頃からの不思議な関係が続いているんですよ。物書きというのはおしなべて文豪で、崇高な思想家で、編集者がそれをまるで付き人みたいにバックアップするべきだ、というおかしな幻想が続いている。作家も編集者も、業種で考えたら一次産業と二次産業の違いにすぎないんですよね。作家は自分のたんぼで出来たお米を編集者に預けて、それを編集者が精米して全国に届けてくれてるだけのことなんですね。農家がなければお米はできないけど、農協などがなかったら全国に流通しないわけで。
──ハハハ。だけど組織が儲けるのは絶対に許せない、出版社潰つぶれろ! とかTV局なんていらない! なんて言い出す人も最近は多いみたいですね。
竜: 確かに。とくに携帯小説の出現以降、他人の力を借りずに作品をアピールできる基盤が整ってきちゃって、編集者の方々の存在意義は薄くなってきてる気がします。
──そういった現状を、僕たち編集者は率先してもっと直視して認めたほうがいい。さっき僕が言ったみたいにもう一段階上のレベルで作家さんの役に立てる能力を一生懸命磨みがいたり、そのためのシステムを必死に作っていかないと、編集者も出版社もいずれ必要とされなくなると思う。
竜: 作品製作のための環境はどんどん良くなっていっているので、いずれ大量のコンテンツが続々と生まれる時代になるんだろうけど、ご存じの通り、大量にコンテンツが生まれてきても、その全部を売る手間はかけられないわけです。とくに日本人は基本的には味オンチですから、ブランドがないとものが見られない。それを逆手にとって、これがオススメですよっていうことを教えてくれる人がこれからはもっと必要になってくるんですよ。編集者はコンテンツの海の中にダイブして、「これはおもしろい!」っていう自分の味覚に合うものをプッシュして、自らをブランド化すべき。料理評論家と同じですよ。たとえば、「太田がまた何かおかしな人物をみつけてきたぞ!」みたいな。
──ハハハ。僕もいずれ時代はそうなっていくと思います。編集者もDJやイベントのプロモーター的な方向にシフトしていくんでしょうね。それにおそらく、今みたいな人数は要らなくなってくる。このあいだ小耳に挟んだんですけど、八〇年代初頭の編集部って、FAXはフロアに一台で、カラーコピーするときには申請が必要だったんですって。そりゃ編集者の人数が必要なわけですよ。情報を処理できないわけだから。だから今までは「編集者」という肩書はついているけど「編集」の仕事をしていなかった人も編集者の気持ちになれたんですよ。その部分はこれからはもういらなくなっちゃうんだと思う。
竜: ITや交通機関の発達でね。しかしそうなってくると、突出した能力を持った一人の戦法がぐっと戦果を挙げるようになってきますよね。
──ランボーとかセガールみたいなね。本当は、竜騎士さんの仰るようにそのコンテンツにいちばん愛のある人間がすべてのプロデュースを統とう括かつしたほうが良いに決まってるんです。ただ、既存の考え方で動いている大きな組織だと、なかなかそういうことにならない。往々にしてコンテンツに愛のない、他所よその部署の人間がしゃしゃり出てきたりするみたいですよ。
竜: それは出版界に限らず、巨大化した組織の一つの悩みですね。
EP4の狙い
──さて、ようやく(笑)、EP4の内容に踏み込んでいきます。これはちょっとした竜騎士07批判になるんですけど、EP4をフィニッシュして、僕は「『うみねこ』の適正なボリュームってどのあたりなんだろう?」って気持ちになってしまいました。今日は、まずこれを最初に竜騎士さんに聞きたかったんです(笑)。
竜: あはは。
──EP4、めっぽうおもしろかったんですけど、ちょっと皿が多すぎると思ったの。
竜: EP4は狙って長くしたんですよ。出題編の最後の作品じゃないですか。だからできるだけボリュームを出したかったんです。
──なるほど。僕、途中から「竜先生、開き直ってるなー」と思いながら遊んでいたんですよ。「この男、いけしゃあしゃあと思い通りやりやがって!」と。テーブルには明らかに過剰に皿が並んでいて、もういっぱいいっぱいなのにさらに皿が登場! みたいな感じで。ちょっと待ってよ、これも美味おいしい、それも美味しい、え、まだ来るの! でもその皿もまた美味しそうなの(笑)。
竜: EP4は私も出し惜おしみしないつもりでがーっと狙って多くしました。そして実際に多くなった(笑)。
──批判はありませんでしたか?
竜: 長いっていう批判はいつもありますね。
──長いというか、今回はレイヤーが多かった。
竜: EP4のテーマの一つにいくつかの異なる世界がジャグリングするっていうテーマがあって、それで複雑になっちゃったんですよね……。
──それこそ縁えん寿じぇの話はもういっそ別の作品、たとえばEP4・5とかにしたほうがもっとさらっとまとまっていて感動したかも、と感じてしまったんですよね。あそこのエピソードだけで僕はもうお腹一杯で(笑)。僕、哀かなしい話が苦手なので、「あーもうだめ!」と思いながら。
竜: 縁寿の暗ーい話でしたからね、ヘビーすぎるって話もありましたね(笑)。
──僕は今の今まで『うみねこ』を長いと思ったことはないんですけど、今回の竜騎士さんはあえて適正なボリュームを超えて作品を発表してきたなと思いました。
竜: プロットの段階で多かったもんね、EP4は(笑)。
──世界の構造が、四重にも五重にもなっているじゃないですか。しかし多くの読者はその複雑な構造の提出には納得しているわけだから、竜騎士07はどんだけ読者のことを調教してるんだ、と(笑)。しかし、物語の構築に必要だったとはいえ、何か一つエピソードを減らしたほうが良いのでは? なんて僕が編集者だったらリクエストしたと思います。竜騎士さん、今回はちょっと皿が大きすぎるし枚数が多すぎるんじゃないですか、と。
竜: うーん、EP5をまさに今書いている私の目から見ると、あれはEP4の中で消化してて正解だったと思いますよ。EP5の世界には縁寿の暗い話を入れている隙すきがない。テンポが速くて速くて、過去を見てる暇ひまがないんです。
──EP5はスピード重視なんですね。
竜: ゆっくりと過去のことを回想したり根暗に考え事をする暇なんてないですね。ただ起こっている出来事を羅列するだけで物語が埋まっていってしまうという。
──緩かん急きゅうを作品単位で付けてみたってことですね。
竜: それに、EP4は『うみねこのなく頃に』の最終話なんですよ。次からはタイトルが変わるんです。タイトルが変わる以上は正真正銘の別作品ですから。だからどうしても全部を詰め込みたかったんです。あと私の中に『うみねこ』を執筆する際のキーワードがあって、それは「毎回次回が最終回だと思わせたい」、ということなんです。EP3を読んだ人が、竜騎士はEP4で『うみねこ』を終わらせるつもりなんじゃないかと感じて、EP4の後で、『うみねこ』はEP5で終わるんじゃないかと感じるような……。
──僕は竜騎士さんのそういうところが大好きなんですよ、ロックバンドっぽいですよね。
竜: このやり方はCLAMP先生から学んだことなんですけどね。CLAMP先生の描く世界には必ず終末観があって、平凡な日常のエピソードを詰め込んでいるように見えても、実は確実に時計の針が進んでいる。そういった、ゴールや終末に向かって確実に物語が進んでいるという空気感が私は大好きなんですよね。
──なるほど。
竜: その世界観こそがCLAMP世界の魅力なんだなと思って。だから『ひぐらし』の最中にCLAMP先生にお会いできて、本当に良かった。そこで、ぜひ『うみねこ』の世界観にはCLAMP先生の世界観を取り入れてみたいと思ったんです。
──たしかに、緩急っていうのは連載ならではの面白さかもしれませんね。
竜: EP4はどうしてもEP3よりボリュームを小さくすることはできなかった。逆にEP5は、短さを感じさせずにEP4より短くしないといけないんですよ。
──EP4ではこれだけ物語のレイヤーを自在にたくさん操って、一本の作品の中に入れるってすごいことやってるなあって思いながら遊ばせていただきました。しかもまた新キャラクターが出てきて、しかもしかも「青字システム」まで登場して!
竜: EP4のラストでは、ベアトの赤とぶつかり合う新しい要素が必要だったんです。それでね、赤とぶつかる青を登場させて、お互いの議論を視覚的に色でわかりやすくしてみたんです。
──青字システムのアイデアはどのあたりで出てきたんですか?
竜: EP4を作る段階ですね。
──あ、EP3の段階ではなかったんですね。
竜: そうです。最初に、EP4の最後で戦人とベアトがお互いの論点を整理し合ってガチンコ対決をして終わるというプロットを作ったんです。その対決のときにベアトだけが赤を使って、それに対して戦人はただ喋しゃべっているだけだと戦いにならないんですよ。要するにつばぜり合いが起きない。
──マトリックスみたいな激しいやつが(笑)。
竜: そうそう、だから赤に匹敵する何かがなくちゃいけないというときに青のアイデアが出たんです。赤と青がお互いに応酬するという世界観でラストを終わらせるので、あとはみなさんの推理をぶつけてください、と。最終的に、青が出てきてくれたおかげでどこの部分が重要かがより見やすくなりましたね。それに青は、真実の赤と違って仮説にすぎないので、いくらでも軽く書けますからね。赤を書くときには何度も読み直して論理の矛む盾じゅんや抵触はないかと慎重に検討しますからね。
──あそこで誤植は許されないですからね。
竜: かなり赤は厳しいです。
──まさにそのつばぜり合い、ラストは胸が苦しくなるようでした。
竜: ありがとうございます。私は常にああいう終わり方をさせたいんです。実は『うみねこ』には隠しテーマがあって、それは毎回絶叫で終わりたいという隠しテーマ。アグレッシブに終わらせたい。『ひぐらし』は闇の中で終わってしまうことが多かったんですけど、『うみねこ』はアップテンポに終わらせていきたいということで、その集大成となるEP4はこれまでの世界観を凝縮してどーんと殴なぐり合ってガガガと……。
──次回も青字は出てくるんでしょうか?
竜: もちろん出てきますね。
──もうこれ以上は出てこないですか? 黄色とか?
竜: いや……ふふふ? 一応ね、仕掛けは考えているんですけどね。そのシーンに至ったときに必要かどうかもう一度じっくり考えたいんですよね。今も一個、アイデアはあるんですけど、はたしてそれが本当に必要なのかどうか。アイデアはあっても、いざ書いてみたらお蔵入りしたエピソードは結構ありますよ。だから、新しいアイデアはあるんですけど、それが本当に書くに値するものかどうかはギリギリまで煮詰めて考えたいと思います。
EP5に向かって
──EP3から続々と魅力的な新キャラクターが出てきて、EP4でのガァプが止とどめを刺したのかな、と感じました。ガァプは、竜騎士さんの作品の中ではあまり見ないキャラクターですけどね。
竜: 新キャラが多くてすいません……が、新キャラはEP5でも続々と出てくるんですよ(笑)。
──えっ、どちら側ですか?
竜: うーん、あれは人間側かな? 完全新キャラです。にもかかわらず、ゲーム開始の五分以内に登場します。ここからはオフレコなんですけど……(新キャラ設定を太田に見せる)。
──おおおお!
竜: EP5はミステリー的にはかなりえぐい作品で、私は二度と講談社さんのパーティには行けないような気がする作品です。とくに綾あや辻つじ行ゆき人と先生には二度とお会いできないような展開で……。
──ちなみに今号の『ファウスト』は新本格ミステリ特集です(笑)。
竜: ぎゃー‼ EP5はミステリーに対してのアンチテーゼがたっぷり入ってるんですよ、今までのメインはファンタジーとアンチファンタジーだったんですけど、今回からはいよいよミステリーとアンチミステリーっていう対立項が出てきて……えぐいんですよ。
──それはいいですねー! うきうきしますね。
竜: なんていっても、ベルンカステルは人間側ですけど魔女ですから……先ほど太田さんにお見せした新キャラクターはヱリカという探偵で、『うみねこ』の世界では探偵は絶対に検分を間違えない。ヱリカは匂においをかいだり舐なめたりするだけでその成分分析が完了できるんです。だから現場にあるものをひと舐めしただけでどんな種類の毒物かがわかっちゃう、そういうひどいキャラクター。彼女は一切の揺るぎを許さない。でも私は、自分で言うのも何ですけど同人界では一、二を争うくらいに本格ミステリーを愛してる作家だと思ってるんですよ(笑)⁉ でもヤバいな~、EP5はやっぱりもうちょっと見直そうかな~。だって、EP5の中では島しま田だ荘そう司じ先生の『占星術殺人事件』についても滔とう々とうと書いてるからな……。
──マジですか!
竜: そう、たった八人しか殺してないじゃないですかって……。世界のミステリーで最も人を殺したのは、クリスティの『そして誰もいなくなった』の一〇人、日本のミステリーで最も人を殺したのは『占星術』の八人。『うみねこ』はその二つを足した分だけ殺していて、実は世界で最も人を殺しているミステリーだっていうのを知ってましたか? って台詞が出てくる。挑戦的だなあ……しかし今幸いなことに、テレビで『名探偵の掟』をやっているじゃないですか。あれが受け入れられてるわけだから……仲良くしてねって(苦笑)。
──(嬉うれしそうに)じゃあついに、竜騎士07が新本格にケンカを売る、と。
竜: ケンカを売るというか「ミステリーって面白いよ、みんなで楽しもうよ!」という感じです(笑)。でも、視野のせまい人たちをひーひー言わせてやりたい気もしていますね。なぜなら彼らが教科書みたいにしていつも攻撃に使ってくるのがノックスの十戒なんですよね、「ノックスに違反してるから」ミステリーじゃないって。ああいう低レベルな言い争いを見てると、本当に残念になる。じゃあ『十角館の殺人』だってノックス違反じゃないか、と言いたい。でも『十角館』はシークレットドアの存在を微妙に匂わせての論争部分から小説が始まっているから厳密にはノックス違反じゃないんだけど、本格原理主義者の視点から見るならば、「隠し扉」っていう三文字が作中に出てきた時点で『十角館』は本格ミステリーではないと否定し、読むことを拒否してしまう。もったいないです。
──綾辻さんという作家は、もちろんミステリー小説家なのですけれど、幻想小説家に近い部分も歴然としてある作家さんじゃないかと僕は思うんです。『霧越邸殺人事件』みたいな傑作も、本当は本格の枠の中に綺麗に収まるはずの作品なのに、あのラストがあるから「これは幻想小説なんじゃないだろうか?」とも思わせる。綾辻さんはあえて、論理が支配する真昼から幻想が忍び込む夕闇までを描いちゃうんですよ。
竜: 私は実はそういう小説のほうが好きで、乱歩先生のも本格じゃないやつが大好きなんです。そうそう、あの小林少年はいつも七つ道具で刀物とかを持ってるんですよね。今、小林少年が警察の職務質問にあったら絶対に捕まりますよ(笑)。
──いやー、乱歩は偉大ですよね、キャラ萌えがわかってます!
竜: 私にとって乱歩先生の作品が魅力的なのは、一読してジャンルがわからないところなんです。怪奇なのか幻想なのか本格なのかがわからない。だから乱歩の小説は読んでいるあいだずっと、この事件にトリックらしいトリックがあるかどうか怪しい……本当に宇宙人がいました! って言われかねない……と思いながら読んでいる(笑)。私はそういう奇怪な作品がもっと増えてもいいと思っているんです。
──多様性がない世界は面白くない。
竜: そう、多様性を受け入れて、ミステリーはもっと沢山の人に楽しんでもらったらいいと思うんです。ただね、読み手の受け皿が狭い場合もある。
──そうですね。ちょうど五年前、『ファウスト』みたいな新しいものが出てきたことに対して、ミステリーの人たちは総じて「これはミステリーじゃない」っていう片づけ方をしていたんですよ。逆に、文学の人たちはおしなべて「これは文学です、純文学です」と認めていく方向に動いた。今となって考えてみると、ミステリーの人たちっていうのは俗に言う「痛い子」なんだけどとても純粋なんです、良くも悪くも打算がないんです。
「赤」をめぐる論議
──EP4を終えて、僕は竜騎士さんが『うみねこ』という物語の舵かじをこれからどういう方向に切っていくかについては、ある人の思いや事件に対して、読者のあなたはそれをどう信じ、どう信じないのか……ということについて書いていきたいんだなあと感じています。
竜: 赤以外を一切信用できないってことになったら、赤なんて存在しない私たちの社会は、虚実は最後まで判別できないということになってしまう。赤があるゆえの安定感と、赤がなければ何も信じられないという逆説的な考え方。EP5から、赤というものの真実は何でしょう? という問いかけが始まっていきます。
──そこで必要なのは信じるとか信じないとか、あるいは信じることを信じないとか信じないことを信じるとか……そういったところに『うみねこ』の物語は収しゅう斂れんしていくのかな、とEP4を終えた僕は思ったんです。
竜: そうですね、EP4にもちらっと出てきますけど、魔法の本質とは何かとか、愛がなければ視えないとはどういう意味なのかとか、そういったテーマがEP5から本格的に見えてくるかな、と。だからね、神と悪魔のどちらかが正しいとかじゃなくて、気分的には、『ガメラ対モスラ』(笑)。ミステリーとファンタジーのぶつかり合いです、ガチンコの。
──『うみねこ』は基本的には二項対立の話なんですよね。信じる信じない、幸せ不幸せ、愛がある愛がない。二項対立ってそれだけでドラマになるんだけど、『うみねこ』はそれを極限まで徹底して推し進めたプロットだなと思っていて、そこがEP4で改めてはっきりと見えてきた。で、その「二項対立」を考えたときに、どちらかだけが正しいとかどちらかだけが間違っているというのは実際の世の中ではあり得ないし、竜騎士さんの世界観からもいちばん遠いはずなので、そのいちばん遠い部分をどう記述していくかという話に『うみねこ』の後半は舵を切っていくんじゃないかなと思うんですよ。
竜: 困ったな。太田さんはヒントとヒントをすぐに繫いできちゃうからなー(苦笑)。
──『うみねこ』をゲーム盤にたとえるなら大反則中の大反則をやってますからね、ゲーム盤の作者に直接お話を伺ってしまうという(笑)。
竜: ふふふ。おかげさまで今はEP5を書き始めて、EP6・7・8のルートも確保して、最終的な『うみねこ』の終わり方も見えてきたので、後は書きながら速度が出すぎたら減速して速度が足りないなら加速して、粛々と離陸態勢に入るだけなので、冷静に操縦桿かんを握っていきたいなと思っています。
「真実」はどこに?
──もう少し内容に踏み込んで質問させて下さい。批評家の福嶋亮大さんの仰っているように、『うみねこ』は「真実」が一つあったときに、それに対してどうパッチをあてていくかっていう話なんですよね。ファンタジーパートは誰かが「真実」にファンタジーっていうパッチをあてていて、ミステリーパートは誰かが「真実」にミステリーというパッチをあてている。
竜: 真実は解釈という名の灯あかりによって見え方が変わりますからね。だからどっちも正しいんですよ。そして、どっちも正しいということと同時に、そもそも「A」という唯一の真実は「どっちも正しい」という複数の真実を量産できるのか? という疑問を投げかけてみたいと思っています。量子物理学の話になりますけど、観測者が観測するだけのことで本当に物質に影響を与えうるのか、ということですね。ただそこにリンゴがあるだけなら、やっぱりリンゴだけなはずなんですよ。ところが誰かがそれを観測していて、その人がたまたまリンゴを知らなくて、「梨の実がある」とその人が表現したなら、リンゴ以外が存在するという異なる真実になってしまう。
──それは観測者が複数いるからですよね。僕はこれだけゲーム盤が次々と量産されていくからには、パッチをあてる人がエピソードのたびに違っているからさまざまな真実が見えてくる話になってるのかな……と、EP4を終えるとそう思えてくるんですよね。
竜: うーん、そうですね。
──僕が強烈にそう思ったのは、縁寿のいじめのエピソードなんですよ。ふとカエサルの名言を思い出したりして。「どれほど悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそものきっかけは善意によるものだった」という名言。
竜: カエサルの周りはいい人ばっかりだったんだね(笑)。
──あのいじめのエピソードでは、「ひどいいじめが行われている」と縁寿は理解してるわけだけど、僕は逆に面倒見のいいクラスメイトじゃないかと思ったんですよ。これもカエサルの言葉ですが、「人は自分が見たいと思う現実しか見ようとしない」。
竜: ハハハ。
──だって、放課後遅くまで残って、頼まれもしないのに縁寿のために色々と世話を焼いてくれるんですよ?
竜: あのシーンでそこまで読み取るのは太田さんくらいですよ(笑)。
──いやいや。本来はただ一つのはずの真実が観測者の解釈によって複数の真実になり得る。『ひぐらし』のときは「運命が違った別のサイコロの世界」っていう抽象的な表現の多層世界だったんですけど、今回の多層世界はカエサルで説明がつきそうな気がしています。愛のある目で見れば何もかもが愛情あっての行為で、逆に愛なんて存在しないんだという目で見ればすべてが悪意あっての行為になる。
竜: 赤くなければ真実でないのか、それならば赤なんかない世界に生きている私たちはどうやって真実を示せばいいのか、そろそろ私たちは真剣に考えるべきですね。ちなみにあのいじめのシーンは女性のファンからリアルすぎて気持ち悪いですって言われました(笑)。
──えーっ、女性はあそこまでやるんですねー! 半はん端ぱないな。でもたぶん、あの子たちは善意でやってますよ? 縁寿のためを思って「いじめ」ているわけです。
竜: いやー、その見方はおもしろいですね。おみそれしました。
──あのあたりのいじめのシーンはどうやって書いていったんですか?
竜: いや、普通にインターネットで調べました。『ひぐらし』のときは満足なネット環境がありませんでしたから、ダムの造り方などは図書館に行って勉強したんですよね、なつかしいなあ。
人生のパッチ
──しかし、すべての人間は、人生で出た何らかの結果に対してその人なりのパッチをあてて人生を歩んでいるわけですよね。
竜: そうですね。ただ、そのパッチを自分で作って自分であてているならかまわないんですけど、人があてたパッチの真実を無自覚に受け取った人は……。だからね、私はすごく恐ろしいと思うんですけど、たとえばWikipediaで「竜騎士は悪意があって悪事を行った」って書かれていたら、後世にそれを読んだ人はそれを信じてしまうんですよ。真実がいくら異っても。
──それってしんどいですよねー!
竜: 書いた人は自分自身でパッチをあてたわけで、本人は竜騎士に悪意があったと断定したんでしょう。それはいい。ところがそれを読んだ人たちは、自己判断することもなく、評価だけを鵜う吞のみにしてしまいがちなんです。だからね、真実っていうのは後世になればなるほど本当の真実から遠くなるものなんです。
──縁寿もやっぱり絵え羽ばのあてたパッチに人生を振り回されてますよね。あとは幸せとか不幸せに関しても本当に見方次第だよな、と。竜騎士さんは今、幸せですか?
竜: 幸せですね。だって毎日ご飯を食べられるんですから。
──ふふふ。しかし真実を見るときに愛がなければ見えないということは、愛があると見えてきちゃうものもあるわけで。
竜: そうですね、愛があれば見えちゃうものもあるし、愛がないとまったく見えないものもありますね。
──戦人の「六年前の罪」の件についてなんですけど、愛がなかったほうがよかった、ってことになるかもしれないですよね。だって六年前ですよ? 「六年前のそなたの罪により、この島の人間が、大勢死ぬ。誰も逃さぬ、すべて死ぬ」って……えーっ! って感じじゃないですか。「六年前の罪でそなたを殺す」、これならまだわかりますけどね。だからその六年前の罪がわかった瞬間、僕は戦人という男は自我崩壊してしまうんじゃないかと思っています。
竜: でも彼はその罪を全然覚えてないんですよね。覚えてない罪は問えない、とベアトはかなり戦意喪失しましたね。
──なぜ戦人は覚えていないんですか?
竜: なんででしょうね、戦人が戦人じゃないからですか?
──やっぱりそうなんですかー。
竜: EP2でもその伏線は出てきているんですよ。「あなたが右代宮戦人だと証明できますか?」って。
──あったあった! そういえば、EP1の最初でも「こんなに大きくなっちゃって」って違和感を提示されたりしてるんですよね。
竜: 実際にそれが真実だとしても偽証だとしても、完璧な立証はできない。世の中、真実であっても立証できないことなんて山ほどあるんですよ。
──そうですね、たとえば徳川家康は実在していたのか? とかね。
竜: いたに決まってるだろ? とは簡単に言えるんですけど、証拠を見せてください、って言われたときには困る(笑)。世の中、真実であっても証明できないことはある。逆に噓うそであっても反証不能なこともある。
──戦人の六年前の罪の部分もこれから明らかになっていくんですね?
竜: そうですね、それどころかもっと前のことも……頭がおかしくなりそうですよ。
──そうなんですか⁉ でもそれってすごくいわゆる女性的な恨うらみの感覚ですよね。「六年前の罪でお前を殺す」は男性的なんですけど、「覚えてないお前の周りの人間を殺す」というのはとてもいわゆる女性的な感覚だなと思って、ぞくっとしましたね。
竜: ハハハ。
──女は忘れないというか……いつも覚えているんですよ。そして、覚えていない男を断罪するんですよ。
竜: 男は忘れちゃうよねー(笑)。
──なんで忘れちゃうんでしょうねー(笑)。
竜: それは覚えている必要がないからじゃないですか? だからこそ男はすぐに、「覚えてるよ」って噓をいけしゃあしゃあとつけるんですよ。
卵を信じる?
──先日、村むら上かみ春はる樹きさんがエルサレム賞をとられたときのスピーチで、自分の小説は常に壁と卵について書かれてきた、と仰っていました。壁とは社会システムに代表されるような弱い個人を圧殺するような存在で、卵は、文字どおりの壊れ易い弱い個人的な存在。そこで春樹さんが主張していらっしゃったのは、たとえ卵が間違っていても、自分は卵の側に立ち続けるということ。僕はその春樹さんの宣言が、『うみねこ』のこれからの展開とかぶるんじゃないかと思ってるんです。それが間違ってるっていう事実はあるけれど、それが卵であるが故にたとえ間違っていたとしても卵である側を信じちゃう、それを真実にしてしまう。だからこそ魔法が生まれる。
竜: 相反する二つの事実を提示されたとき、どちらを信じるかといわれたら……だって、噓か本当かしかないんですよ? いったいどちらが正しいんでしょうね……。
──それはきっとどちらもが正しいんですよ、どちらかが百パーセント正しいとか間違っているっていうことはないと思う。
竜: まずいなぁ、今、私は猛烈にEP6とか7とかの話がしたくなってきた(笑)。
──え、本当ですか?
竜: ぜひ、『うみねこ』が全部終わったら太田さんとゆっくり話がしたいですね。「太田さんがあんな質問をあんなときにしてくるんですもんー!」とか(笑)。
──おお! でもEP1の時点ですでにネタバレがたくさんあるって言われてましたけど。
竜: 今、EP1の漫画監修をやっているんですけど「えー! EP1の時点でこんな大ヒント出しちゃっていいの⁉」っていう伏線がありますね。
──クリスティの『○○○○○○○○○○○』って、実は冒頭数ページで猛烈なネタバレをしてるんですよ(笑)。真相のすべてがそこに書いてある。しかし僕はいいミステリーって常にそういうものだと思うんです。
竜: 伏線がばちっとはまる瞬間は面白いですよね。私はそこがまだ巧くないので勉強したいと思いますね。
物語の生成力
──最近、批評の世界では「生成力」という言葉が流行っているんです。創作力とは0から1を生み出す力のことで、生成力とは1からいかに無数の0を生み出すことができるかという力。これは濱野智史さんというニコニコ動画などを研究されている方の主張なんですけど、今の世の中で流行るためには創作力があるだけでは弱くて、生成力を兼ね備えた創作であることが望ましい、という主張。
竜: 創作の元ネタたりえる創作、ということですね。
──そうです。僕、竜騎士さんはその生成力を持った作家さんだと思うんですよ。
竜: そうですか? どうでしょうね。
──でもね、「無数の0」の代表例ともいうべき2ちゃんねるであれだけ話題になっている作家さんは竜騎士さんご自身ですよ! あとはもうエヴァぐらいだと思うんです。たとえばこのままのペースでいくと、2ちゃんねるの本スレは『うみねこ』のEP6くらいで999くらいまでいって三桁をカンストしちゃうじゃないですか(笑)。そういう意味で僕が今回すごくおもしろいと思ったのは、江え之の浦うらやラプラタ川の推理のくだりで……あれはどういった考えで挿そう入にゅうされたのでしょうか?
竜: 「私はみなさんの意見をしっかり見ています」、という私からの明らかなメッセージです。『うみねこ』は、ユーザーのみなさんの推理を取り入れて、面白い説があれば江之浦説とかラプラタ川説みたいに作中でキャラクターに言わせて否定させてみたり……そういうキャッチボールを楽しんでますね。そういった態度については、私は前々から公言していますから。
──新キャラクターの大おお月つき教授は、あれはネットで推理を展開している人の集合体みたいなイメージのキャラクターでしょうか?
竜: そうですね、まさにネットの人たちの意見を代弁したっていうイメージのキャラクターですね。霧江だったり戦人だったりが作中で主張している、真ま里り亞あには里っていう文字が入ってるから真里亞が碑文の秘密じゃないかっていう説もネットの説から引っ張ってきていますからね。EP5でも、言葉でははっきり出してはいませんけど、そういったネット上のおもしろい説を取り入れてますね。
──そういう部分は、竜騎士さんって、クリエイターとして本当に新しいと思うんですよ。こんなおもしろいことやっているのはあなただけなんですよ!
竜: まあ連載だからできることですね。読み切りだったら読者の反応を見て書くなんてことはできませんからね。
──縁寿とマモンがそもそもそういうカップリングとして竜騎士さんが考えていらしたのを読者が先取りしてネタにしていたのなんて、研究に値するものすごくおもしろい現象だと思いました。
竜: EP4でマモンと縁寿が組むからマモンが目立つことはわかってました。なので、マモン以外のキャラクターに見せ場を……と思ってたら、ファンが反対の勘違いをして(笑)。「竜騎士がやらないなら俺たちが勝手にマモンを盛り上げてやろうぜ!」って感じで逆に先にやられちゃって、それには私もすごいびっくりしちゃって……。困ったことに、本編にファンの盛り上がりを取り入れると私は公言していたので、これでは二次創作的なカップリングの盛り上がりまでをも取り込んでいるようになってしまう。しかしこれだけは違います、あのカップリングはあらかじめ最初から用意されていたものなんです(笑)!
──あれはまさに読者が作者に対して真の意味で影響を与えたという、ものすごく興味深い事例になりましたよね(笑)。しかしあれは作者としてはつらいですよね、読者の妄想が先にあって、それをオリジナルでやらなくちゃいけないから。
竜: あとは私は、本家のウェブサイトでやっている人気投票の結果も取り入れて、文章をいじったりもしてますね。
──だからこそ僕は、竜騎士さんは創作力があり、かつ生成力もある作家さんだと思うんです。
竜: しかし、生成力っていうのはそもそも同人界が得意とするところじゃないですか? 同人界は、二次創作という考えが非常に大きなコンテンツパワーを持っているじゃないですか。そもそも二次創作って概念は、同人界以外にあるのかな?たとえば京大ミス研出身の作家さんだって、他人の書いたミステリーのカバーストーリーなんてきっと書かないでしょ。でも同人の二次創作の世界では度胸と心意気さえあればなんでもやっちゃう。カバーでも勝手にキャラを借りるのも……。ミステリー界で勝手に金きん田だ一いち耕こう助すけを出して話を書くのはタブーになっているんじゃないですかね?
──そういった試みは、まだあんまり熱心にやられてはいないですね。そうそう、そういう意味では島田荘司さんってものすごいパワフルなんですよ。押しも押されぬ大御所なのに、若い作家さんに対して「あなたも御手洗潔ものを書いてくれないか?」って自らお願いに行ってアンソロジーを作ったりしている(笑)。島田さんは正真正銘の天才なので、そのときどきでは僕らからするとおかしいって思うことばっかりなんですよ。いきなり『季刊島田荘司』なんて個人編集の雑誌を始めてみたりね。でも、ある時期から僕はそういった「島田荘司」の行動を全肯定しようと思ったんです。なぜならば、おかしいと疑問に感じてから三、四年経ったころにハタと気がつくんですよ、「『ファウスト』って太田版の『季刊島田荘司』だよね」、みたいな感じで(笑)。あとは、世界進出! なんて近頃の太田はさかんに言っているけれど、島田さんはもう七、八年前からLAにいるよな、とかね。要は島田さんがぜんぶ先にやっちゃってるんですよ。でも島田さんは天才だから、そのタイミングがあまりにも早すぎて、起こったときには「また島田さんが変なことやってる!」としか思えないんですよ、凡人には(笑)。
『うみねこ』のグルーヴ
竜: しかしそうやって読者の反応を積極的に取り込んでいけるのは、ネット文化の発達のおかげですね。そのお陰で私は読者の反応がこれ以上ないくらいに見られる。いくらなんでも、五十年くらい前の作家さんだったら作品の連載中には、せいぜい編集部に届く熱心なお便りくらいでしか読者の反応は見られなかったでしょうね。
──竜騎士さんは一日にどれくらいネット見てますか?
竜: 合計すると一時間くらいでしょうか? 張りついてなくても、ぼんやりとは見ちゃってますね。
──そういった日々の取材が、独特のコール&レスポンスのグルーヴを『うみねこ』に生んでいるんですね。
竜: そうですね。やっていて非常に刺激的でおもしろいですよ。だから竜騎士07の作品を読んで死ぬほど楽しめるのは、後にも先にもリアルタイムで推理が展開している今が最高なんですよ。だからぜひみなさんにそのライブ感を楽しんでほしいんですよね。
──できれば同時にネットも見てほしいところですね。
竜: ぜひお願いしたいですね。『うみねこ』はネット時代の読み物の提出の仕方の一例にはなっているのかなと自分でも思いますね。そして、ネットを使って意見を交流する術を持った新時代の読者に支持されているのはとてもありがたいことだと思っています。だって常識的な会社のサラリーマンが、たとえば直木賞を受賞した作品を読んで「さすがにおもしろかった」っていう感想を2ちゃんに書き込む姿なんてのは想像すらできないもの。きっと心の中で「ああ、おもしろかった」とつぶやいて終わってしまうと思う。ところが私たちの読者さんたちは、『うみねこ』を読んだあとの感想を次々に考えてネット上で交流させてくれる。そういうちょっと珍しい読者に私の作品は支持されているんです。本当に嬉しいですよ。
──竜騎士さんの『うみねこ』でのチャレンジは、僕の新しい出版社構想にも深い影響を与えていて、これからは『うみねこ』のように読者を積極的に取り込んで本を作っていきたいというのが僕の考えです。竜騎士さん、今日は本当にありがとうございました!
(二〇〇九年六月、都内にて)
(注1) 初出時、当該部分に編集部のミスによる誤記があり、〈『車輪の国、向日葵の少女』や『コープスパーティー』〉となっておりました。ここに訂正させていただきます。
Interview 3
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──今回は、EP5、EP6を含めたインタビューとなります。でも、最初の質問は僕の人生相談から!(笑)
竜: ハハハ。
──今、僕は新会社を立ち上げようとして奮闘しているのですが、竜騎士さんの07th Expansionはいったいどんな感じで始まったんでしょうか?
竜: 最初はファンだったBTさんがお手伝いにきてくれたりね。寄り合い所帯が、気がついたらこんな感じになったんですよ。だから、組織というよりは所帯、家族みたいなものですね。
──いい言葉ですね。
竜: 私の場合では、「いよいよ旗揚げするぞ」っていう原点は、他人のサークルではなくて、自分のサークルでコミケに出たときですね。「よし、07thという名前にしよう」と心に決めたとき。9年、10年前の話ですね。太田さんの会社も、杉原さんとの二人三脚に始まって、いずれ家族から組織になっていくんですよ。組織の基本は、バックアップ態勢があるかないかで、細胞の新陳代謝があること。人間はケガをしたら治るじゃないですか。ガラスや絨じゅう毯たんをひっかいたら、その傷はもう直らない。だからガラスや絨毯は組織じゃないんです。組織の正しい姿は、みんなが誰かをフォローできる態勢があるかないかで……あ、こんなこといっちゃうと、世間の会社の大半は組織じゃなくなっちゃうかもしれないですが(笑)。
──ふふふ。
竜: 私の場合も、BTさんという個人に頼りすぎてきた。そういう意味では、組織じゃなかった。BTさんがいなくなったら、色々とわからないことだらけでね。「少数精鋭」なんて偉そうなことを言っていたけれど、彼が抜けた穴をどうしても埋められない。今は、一つの仕事を複数の人間で行うようにしています。
──マルチポジションだったんですね。
竜: 太田さんはもちろんオンリーワンだし、杉原さんももちろんそうだと思うけれど、それでも仕事を誰かにゆだねることで、自分の本当にやりたいことや、やらなければならないことがみえてきたりしますからね。それに、自分の仕事を理解してくれている人がいれば、愚ぐ痴ちることもできるし(笑)。
──ああー、それは今までの僕にはなかったかもしれないな。最近の話ですけれど、『PLUTO』のプロデュースの長なが崎さき尚たか志しさんから、太田君の編集にかける思いは、たぶん周りの人はほとんどわかっていないと思うよ、と指摘されてしまったんですね。他人の仕事のレベルを見極めるには見ている側の人にもある程度のレベルが必要になるからね、と言われて。「スピリッツ」の編集長まで務めた方ですから、含蓄があった。
竜: ただし、そういう孤独がつらいからこそ、自分の仕事をわかってくれる人を何としてもつくらなければならないのではないでしょうか。わかりあえる努力をするというかね。それで、個人の負担が軽減できるんです。07thも、あともう一人、人を増やしたいなと思っていて、それは仕事を増やすためじゃなくって、週に一度の休みを2日にしてあげたいから。修羅場中は2ヵ月で一日も休めないとか、そういうのはもういいでしょう(苦笑)。気合いと根性でなんとかなるというのは、10代、20代のあいだだけだと思います。
BTさんのこと
──竜騎士さんも変化の刻ときを迎えているんですね。今日は、そんな竜騎士さんにどうしてもお願いがあるんです。BTさんのことを、話せる範囲で話してもらえれば、と。ゲーム雑誌のインタビューではなかなか出てこない話だと思うので。
竜: そうですね……私はずっと「少数精鋭」という言葉が好きだった。余計な人員など必要ないと思っていました。最高のスペシャリストが現場で経験を積めば、さらに優秀なスペシャリストになる。お互いの代わりはいないけど、そのかわり、お互いさえいれば、どんな仕事も完璧にこなせる。
──うんうん。
竜: でもね、太田さん、それは今にして思えば若者らしい考え方だった。人には疲れたりすることもあるんだ、という視点が私にはすっぽり抜け落ちていました。BTさんを失ってみて初めてわかったことは、人は疲れるし、老いるし、時には休みたくなるし、最悪の場合はいなくなってしまうこともあるということ。私はBTさんのことを経験して、初めて、若者の考えが通用しないということがわかりました。
──……。
竜: 彼を失って、頭の中が真っ白になって、長いこと仕事が手に付かなくなるという経験があって、そんなときに私がひたすら落ち込んでいられたのは、スタッフが黙々とサポートしてくれたからなんですね。「少数精鋭」っていうのは、本当に、若者の、後先を考えない考え方。でも、ともすればそれは日本では美談になってしまうじゃないですか。
──中二病的な感覚だとそうですよね。僕にも、濃厚にあります。一面の真理はありますからね。
竜: 言葉の響きもいいじゃないですか。でも今の私にはね、「少数精鋭」っていうのは自分の仕事を他の人に引き継がない言い訳なんじゃないかと。よく言うじゃないですか、他人に自分の仕事を教えるのは3倍手間が掛かるって。だから、少数精鋭を信じられる人って、まだ若い証拠なんです。だれかがリタイアしたり、突然にいなくなることに思いが至っていない。
──うーん、でもそれは……なってみないとわからないことかもしれない。
竜: そうです。私も、彼がいなくなるまえに、そのことがわかっていれば……。もっと早くに人を増やしていれば……。彼の仕事を適正に軽減できるような人事を行っていれば……。もちろん、こんなことは仮定の話にすぎないわけですが、そうすれば、もうちょっと彼は元気でいられたかもしれない。
──でも……でもそれは本当に仮定の話ですから。
竜: 彼を通じて、私はずいぶん考え方が変わりました。彼を失って、太陽は昇るばかりではない、自分で言うのは恥ずかしいことだけれど、破竹の勢いだったころの私は、BTさんと一緒に消えてしまったんだ、そして私は次の自分に生まれ変わったのかもしれないな、という気がしています。
──それは……それは……BTさんが2009年の7月10日に亡くなられて、どのくらい時が経ってそう感じましたか。
竜: 言葉の上では亡くなった次の日にそう感じましたけど、心の中で本当に納得するには半年……いや、本当につい最近のことですよ。いや、それも噓うそかもしれない。私は、永遠にこういった混こん沌とんとした気持ちを抱えていくような気もしていますね。今、言葉に出して、ようやく、まとまったような気もしているくらいですからね。
スタートアップの狂気
竜: 同人サークルって、たいていの場合は「俺が俺のためにやる」って感じで始めるわけじゃないですか。そして、飛び出すときにはそのくらいの気持ちが必要なのかもしれない。ゼロからものを立ち上げようというときは、それくらい勢いがあるべき。破竹の勢いがないと、今の日常を突き破って次の非日常にたどり着けるわけがない。無鉄砲って言葉が似合うくらいじゃないと、踏み出せない。
──ある種の狂気がないと……。
竜: でも、いったん飛び立ったら、その破竹の勢いとは別の、もっと冷静で、落ち着いた、地に足の着いた考え方が必要ですね。私はね、その考え方を切り替えるべきときだったんでしょう。でも、できるなら、その考えの切り替えを、彼がいるときに受け入れることができていれば……よかったなあと後悔していますね。そうすれば……。私は、私が彼に頼り切っていたことが、彼の心労に繫がったんじゃないかという気がしてならない。
──失ってみて初めてわかるというのは、本当に人間、みんなそうで、竜騎士さんに限らず、人間はみんな愚おろかです。
竜: 私が彼を失ってわかったことは、人は「ある日突然」いなくなるんだってこと。夜寝て、朝起きて、何も変わらない日常をあれだけ疎うとんで、漫画やゲームやラノベの非日常をあれだけうらやんでいたくせに……本当のところは、非日常って、ある日突然やってくるんです。
──若さって、若いうちには絶対に実感できないものですからね。それこそ、失ってみないとわからない。
竜: もし彼が同じ病気でも、寝たきりで何年も暮らしていたりとか、医者から余命何年なんていう感じで言われていたら、心の準備もできたと思いますが、同い年だし、「最近、ちょっと調子がわるいみたいだけど、風か邪ぜだろ?」くらいな思いこみで……。
──それは、若かったからですよ。
竜: お互いにそうだったのかもしれませんね。彼自身も、いくつも病院を回って、「いやー、あの医者はどうもすぐに腹を開きたがって信用できない」なんて偉そうなことを言っていて。「腹を開いて治るんだったら早く開いてこいよ」なんて私も軽口を叩いちゃったりして。あの男だって、まさかそこまでとは思っていなかったんです。非日常が、ある日突然、そんな私と彼のところにやってきたんです。
──僕も……人に話したことはあまりないんですけど、尊敬する先輩を急に亡くしたことがあったんですね。まだその方は53歳だったんですけど。
竜: それはまたずいぶんと若い……。
──若いですよね。本当にショックで。彼はすごくできる編集者で、浅田次郎さんの『蒼そう穹きゅうの昴すばる』にも彼をモデルにした人物が出てくるくらいなんですけど。日本の出版の世界進出という夢をお互いに抱いていて、燃えていて……。その人が亡くなったのは05年の11月なんですが、僕はその死の半年前から急速に仲良くなって。うーん、それで、本当に嫌だったのが、彼が亡くなる2週間前まで、僕は一緒にニューヨークの出版界を視察に行っていたんですね。
竜: 突然だったんですね。
──そうなんです。くも膜下だったので。成田空港から成田エクスプレスで東京に帰るときにはいっぱいお互い夢を語り合って……だから僕は竜騎士さんのことが他人事にどうしても思えなくて……いつかこの人がいなくなったら僕はどうなるだろうということを、僕はあまりにも考えなさすぎた。
竜: わかります。
──死の覚悟というか、予行演習というか……そういう想いがないままに人と深く付き合いすぎてきたなあ、と。
竜: だからね、私は悔くやしいんですよ。これだけ生き死にの話を書いていてね。『ひぐらし』でも私なりに、命の大切さを書いていたつもりだったんだけど、書いていた私自身がその命の大切さを何もわかっていなかったということが何よりもショックで。だから、永久に後悔ですね。
──残酷なことを言いますけれど、それはもう、一生後悔は尽きないですよ。僕も、まったく整理がつかないままですからね。混沌とした気持ちを抱いたまま、生きていくしかないと思います。
泣くべきときには泣いておけ
竜: 彼がいなくなったのは、私が「製作快調」って、ブログに書いたその夜のことで。だから、それからはブログも書けなくなって。私が製作快調、って書いたから、安心した彼が逝いってしまったんじゃないかと……そんなはずはないんだけれど。
──それは思いこみですよ。
竜: そんなくだらない思いこみをするくらい、整理がつかないままなんですよ。
──絶対整理がつかないままですよ。そのまま生きていくしかない。僕も、先輩の死について解釈は未だに次々に生まれてくるんですけど、解釈が生まれてくるということは、整理がついていないということなんですよね。
竜: 愛がありすぎて、BTさんとはよく喧けん嘩かしましたよ。彼は、ひとりひとりに少しでもサービスしよう、といつも言っていましたね。私は、いつも、全員にできないサービスならするな! みたいな感じでね。彼はファンの目線を忘れない人でしたね。
──あのね、僕、最初はBTさんのこと、「頼りにならない人だな~」と思ったんですよ?(笑)。
竜: ハハハ。
──「この人、大丈夫なのかしら?」と。そうしたら、BTさんはみるみるうちに力を付けていって。
竜: 自分が私の右腕なんだという自覚をもってから、伸びましたね。あとは、どんどんお洒落しゃれになっていってね。私が人前に出る機会が増えたのもあって、同席している彼も服には気を使うようになって。
──センスが似ていましたよね?
竜: 同じお店で買っていますからね(笑)。
──それで似ていたのか!
竜: 遺品の整理でご家族がいらしたときには、びっくりしていましたね。ピンクのパンツにいちばん驚いていらしたっけ。
──ハハハ。いや、着こなしていましたよね。僕はちょっと離れていたから、BTさんの成長がよくわかったと思います。ほんとうに、BTさんは、得がたい人でした。
竜: そうですね。太田さんの言うとおり、五年、十年で整理がつくような問題じゃあないかもしれません。ただ、これだけの感謝を、私は彼が生きているうちにしておきたかった……本当に恥ずかしい。もうちょっと、私が気をつけていれば。彼がいちばんの相棒だったということには揺るぎがない。彼がいなければ私は今ここにこうしていないでしょう。だから、彼にもらったものを、彼への整理がつかないことを……私は、彼への感謝が尽きないんです。私は、今は、そう言うのがやっとですね。
──竜騎士さんは製作日記で、「BTさんを裏切らないためにも書きつづける」と仰っていましたね。
竜: いや、文字ではそう書けてもね。気持ちのほうはなかなかですよ。書いているのは、そういうふうに受け取りたいという僕の願望です。現実には、彼が亡くなっているのに私だけがこんなふうにのうのうとものを書いていていいんだろうかという……いやいや、そんなきれい事じゃない。頭が真っ白になるだけでね。そう、彼が、最後に約束してくれと手紙を書いていてね。
──どんな手紙だったんですか?
竜: EP5を必ず完成させてほしい、自分はもうこれで駄だ目めかもしれないから、と。でも、私は、そんな手紙を書く元気があるんだったら、少しでも養生してほしかった。未来までずっと一緒だったはずの彼がいなくなったことで、その未来の竜騎士07はいなくなりました。それと同時に、過去も失った気がします。彼はまだ、07thが島中の小さなサークルで、お客さんが誰も立ち止まってくれないという時代を知っている唯一の存在でしたから。そんなことを今語っても、嫌みにしか聞こえない。もう、その時代を知っているのは私だけなんです。それは悲しいですね。
──「CD‐ROMの10連装を買ったから、これでもういくら注文が来ても大丈夫」なんて仰っていた時代。
竜: ああ、太田さんはそのころからですよね(笑)。懐かしいなあ。
──整理がつかないということがわかってしまうと、ちょっとは楽になれますよ。片付けをしようと思うといらいらするけれど、「この部屋はもうずっとこのままにしておこう」と思うと楽になるのと同じ。
竜: ハハハ。
──僕もね、亡くなった先輩とは夢ばかりの話で、プライベートジェットを買おうとか、講談社の5倍、5000億くらいの売上げを目指そう、とか……。アメリカに渡って、アメリカ人の生活をしながら、アメリカで受けるものを探していこうよ、と。
竜: 前のめりな方だったんですね。
──そうです。彼が亡くならなければ、きっと講談社BOXもやっていなかった。しんどいですね……・。
竜: 人が亡くなるというのは大きなことですね。
──ある人と関係をもっていたら、こうなっていただろうという自分がいなくなるということは、それこそノベルゲームの分岐みたいなものですね。でも、竜騎士さんはよくEP5を完成できましたね。
竜: いや、EP5の場合は3日間、放心状態だったけれど、あとはBTさんとの約束を守るためにも、転げ落ちるようにやるしかなかったですから。でもEP6は、最初から手に着かない。
──僕は『ファウスト』のSIDE‐Bはどうやって校了したか、まったく覚えてないんです。1000ページもあるのに。
竜: わかったようなことを言いますけれど、泣くべきときには泣いておいたほうがいいということもありますよ。涙が、内側で腐っちゃうんだな。流すべきときに流さないと。落ち込んでいたら故人に申し訳ないという日本人的な美学はあるけれど、泣くべきときに泣かなかった後悔というのもずっと続きますから。とにかく、人一人が死ぬことはこんなにも悲しいことなんだという青臭いことを言っている自分が、悲しい。作中で、こんなにも人を殺しているのに。きっと私は、太田さんの仰るように、理解したような、理解できないような、そんな割り切れない思いを重ねて、これから何年もかけて、向き合っていくしかないんでしょうね。私も今度の経験で初めてわかりました。それでも、作品には、そんな私の思いを込めていきたい。若い人はどうしてもオールオアナッシングで、すぐに「殺してしまえ」となるけれど、人が死ぬということはどうしようもなく不可逆的で、悲しいことなんだということを。
──竜騎士さんはすごいですね。僕は、なかなかそういうふうになれない。僕は周りに対して、前よりも冷たく、辛くなったと思う。
竜: いやいや、私はただただ自問自答の半年間ですし、今もどことなくかっこ悪く言うと、老ふけ込んだし、良く言っても、疲れやすくなった。
──僕は先輩を亡くしてから、厳しさがどんどん前に出るようになってしまった。自分に対しても、他人に対しても。良くないな、と思ってはいるんですけどね。からだが健康で、仕事に邁まい進しんできるという喜びをわかっていないんじゃないかって感じてしまう人に対して、どうしてもきつくあたってしまう。
竜: いつまで経っても納得がいく解釈はない、ということは真実でしょうね。
──亡くなっていった人間のことを、生きている人間はどうしても過剰に意味づけしてしまうものですしね。答えがないんです。「ロジックエラー」じゃないですけど、「ありえたかもしれない未来」を考えるくらい人間にとって危険なことはない。時間も、気力も、いくらでも奪っていきますから。EP6で、正体不明の人物が閉じこめられているような感じですよ。
竜: 考えても、考えても、らちがあきませんよね。わりきれない。つらい話ですね。
──たまたま僕はこういう世界で生きている。そして、先輩と一緒にニューヨークでバリバリやっている自分も別の世界にはいるんだと思って、生きているようにしています。だから、僕は、BTさんが未だに生きて、07thさんを今まで以上にバリバリ仕切っている世界もあるんだとも思っています。たまたま、今、別の世界に生きてしまっただけなんだと。
スタッフ 太田さんが贈ってくれたお守り、BTさんは最期まで大事に持っていましたよ。
──(絶句して)いやー……今日僕はそれを聞いて、本当に心が楽になりました。僕は、取り返しのつかないときに脳天気にお守りを贈ったんじゃないかと思ってずっと後悔してきたんです。「早く元気になって、またバリバリやりましょうね!」なんて手紙を添えてね。BTさんは……どんなに嫌な思いをしただろう、と。
スタッフ 喜んでいましたよ。ですからお気になさらずに。
──ありがとうございます……!
「答えの明かし方」
──じゃあ、新作の話に移りましょうね。『うみねこ』が「散」になって、解答編は『ひぐらし』の『目明し編』のようにつくりたいとかねて竜騎士さんが仰っていたことが顕著になってきましたね。
竜: 今回、私が気をつけようと思っているのが、「答えの明かし方」なんです。「1足す2は、3」と、書きたくない。そのときに、3と書いてあったら、何も考えていない人でも3ってわかってしまうじゃないですか。たしかに、私はこの作品は考えても、考えなくてもいいとは言っている、でも、考えた人にしか到達できないものがあってもいいと思っているんですね。「1足す2は、3」って最後に書いてあったら、真剣に考えた人が悔しいんじゃないかな。なぞなぞブックなんかでも、答えを見始めちゃうとそれは癖になってしまうじゃないですか。
──なりますねえ。
竜: 『ドラクエ』でも、最初の街に、見えてはいるんだけどそこまでたどり着けない宝箱があったりする。で、ゲームが進んで、「とうぞくのカギ」とか、「さいごのカギ」を手に入れたら、最初の街に戻って、その宝箱をようやく開けることができる。そんな感じにね、鍵は与えるんだけど、その鍵を使うのはみなさんにお任せしますよ、という感じにしたいと思っています。与えるのは、答えじゃなくて、鍵にしたいんです。
──ああ、それはユーザーに対する信頼あっての挑戦ですね。
竜: だけど、「解」とタイトルを打つと、みんなは答えを求めてしまうでしょう。だからちょっとひねって「散」としたところがあります。『うみねこ』は知能ゲームなので、答えもひねりたい。『ひぐらし』は、ある意味説教くさいテーマなので、答えはブレてはいけない。だから『ひぐらし』では明々白々と答えを出した。しかし『うみねこ』ではそうしたくない。なので、EP5やEP6は、漫然と遊んできた人にとっては謎がかえって増えたように思える展開になっているんですね。しかし、頭を使って遊んできた人にとっては、ちゃんとした解答編になっている。
──解答編に至って、まさに各エピソードはそれぞれの「真実」が詰まったボトルメールの様相を呈してきましたよね。竜騎士さんは「通信」について、どんな考えをお持ちですか?
竜: 通信、すなわちコミュニケーションですね。それを漢字で書くと、通じ合って、信じあう。『うみねこ』は『ひぐらし』以上にユーザーさんによって解釈が分かれるようにつくってあるので、そこらへんの解釈の分かれ方をみんなで楽しんでくれれば嬉しいし、それこそがインターネット時代のゲームだと思うんです。通信とゲームが結びつくときに、キーワードになってくるのが「収束と拡散」だと思っています。昔は、RPGやアクションゲームって人によってクリアの仕方は千差万別だったんですよ。「あのラスボス、超固くって大変だった」という人もいれば、「画面の端っこで連射していれば良かったからあのラスボスは楽勝!」という人もいたり。でも、今はネットで効率のいいクリアの仕方が簡単に流る布ふしてしまうから、みんながその仕方に収束してしまいます。本来は、他人の知識に触れることによって、考え方の幅は広がる、つまり拡散するべきなんですよ。ところが、今、洗練した通信によって最適効率化された結果、誰が遊んでも攻略は同じになっている。何かが、おかしいと思います。だからこそ、うちのゲームは情報化社会の歩みとは逆の、拡散する方向性に振っているんです。そのあたりが読者に受けた理由のひとつなのではないでしょうか。真面目な解釈も、不真面目な解釈もゆるされますから。
──通信が、たったひとつの正解に収束するために役立つのか、それとも正解の多様性を確保するための拡散に役立つのか。そう考えたときに、今回の『うみねこ』はその両者をうまくバランスしているなあと思います。
竜: 『うみねこ』では、新作が出るごとに新説が続出して乱立するんですね。拡散です。そして、次の新作が出ると、過去の作品の新説の中から、いくつかの説が定説化していく。収束するんです。
──拡散もするし、収束もする、と。うまくできていますね。新キャラクターの八はち城じょうが出てきて、ボトルメール問題にあるていどの決着もついてきましたね。
竜: メタのレイヤーが、どれが上でどれが下か、事件が一番下で、魔女たちがその上で、八城がさらにその上、と今は定義されているけれど、本当にそうか? そのあたりについても、もっと検討して議論を楽しんでいただきたいとも思っています。『うみねこ』は終わりのない作品になってほしいとも思っているんですね。私は、ミステリーとは、そもそもそういうものだったとも思っています。
──竜騎士さんが考える「通信」は輻ふく輳そう的なんですよね。複数の周波数の情報が飛び交っていることじたいが「通信」なんだと。
竜: そうですね。世界でもっとも優秀な情報だけが「通信」で統合されることによって、それ以外の情報が淘汰されてしまうのは悲しいな、と感じています。私の好きなFPSでも、ゲームが発売された当初は、いろんな戦術があるんです。でも、一ヵ月も経ってしまうと、「通信」の結果、狙撃ポイントなどの「正解」が出てしまって、ゲームの楽しみ方に多様性がなくなってしまう。よりよいやり方がよくないやり方を淘汰していくのは当然なんだけれど、情報と思考は別ですからね。情報はより優秀な情報に上書きされていくべきなんでしょうけれど、思考は、それ以外のさまざまな別の思考に触発されることで解釈の幅を広げていくべきなんですよ。私は、人の考え方や感受性は、統合されるべきではないと思います。さきほどの人の死の受け止め方などは典型的な例ですね。他人の考え方で上書きできるようなものではない。
──同感ですね。
竜: オンラインRPGでも、長くプレイしている人の戦士の装備やスキルは同じになってしまう。なぜなら、それが最適だから。わざわざ個性を出して、弱くさせる必然性がないから。でも、自分とは違う何かと出会うから、ゲームは楽しいんじゃないですかね。終わりのない論争、優劣の付けがたい感想、それこそがゲームの面白さだと僕は思うんですよ。
──それはまさに僕がEP5、6を遊んだ感想ですね。
竜: ありがとうございます。そのあたりを、楽しんでいただきたいと思うんです。
──人間、「通信」しないと生きていけないんですよ。『うみねこ』では、その希望と、残酷さを同時に味わった気がして、「深いな」と感じました。
「つぐない」と「愛」
──今回の作品では「19年前の男」問題、がクローズアップされてきましたよね。おかげで今、戦人ばとらは反省モードで。あと、注目すべきなのは、未来の記憶が混濁してくる『ひぐらし』の後半的な展開。竜騎士さんは、過去の過ちは、修正できるとお考えですか?
竜: 『ひぐらし』でもそのテーマは取り組んだのですが、起こってしまったこと自体は変えられない。でも、それをどう未来に生かしていくか? それが「つぐない」ということなのではないでしょうか。ある出来事に際して以降、生き方が変わることですね。変わらなければ、それはつぐないではない。そういう意味では、取り返しがつくつかないが問題になるのは、物理的なことだけですよ。もっと言えば、取り返しがつくあいだは、過ちではないんです。取り返しがつかなくなって、はじめて過ちが成立するわけですよ。
──戦人は、これからもつらい日々が続くような気がしますね。EP6でも、ジャケットのカッコよさとは打って変わってシビアな戦いに終始していましたし。
竜: とはいえど、ゲームマスターは戦人ですからね。あれが演出の可能性もある。
──あっ、そうか!
竜: ものすごい苦戦して戦ったようにみせた、だけかもしれませんよ(笑)。
──うーん、先が読めないなあ(笑)。そうなってくると、本当に真偽がわからなくなってきましたね。戦人はもう死んでいるんでしょうか? だとするならば、彼はいったいいつどこで過去の過ちを修正しようとしているのか……?
竜: 過ちをとりもどせるかどうかも、微妙ですね。
──『ひぐらし』は、未来を作っていく話でしたから、わかりやすかったですね。しかし、『うみねこ』は、この人たちの決着は、いったいどうすれば決着するのか……。
竜: 『ひぐらし』は、過去への決別と、新しい未来への旅立ちというテーマでしたから。戦人は、いったいどのような罪があるのか? そして、この世界はどうやったら脱出できるのか?
──鍵は、縁えん寿じぇしかないじゃないですか。未来の時間に生きているのは彼女だけなんですから。
竜: しかし、彼女にしてみれば六軒島事件は確定した過去の話なので、今更どうしようもない、ともいえる。最後に語り継いだ人間が、最後の観測者といえるのならば、彼女にしか救う手だてはないのですが。
──まさに愛がなければ視えない、なんですね。終盤のEP7とEP8は、愛についての話にならざるをえないですね。
竜: EP7は、過去の話──ひょっとすると、金きん蔵ぞうの若い頃の話になるかもしれませんよ。完全なネタばらしですね。完全なる解答編。ねじれたものにはしたいのですが……。だって、悔しいじゃないですか。「解答」が何行かでコピペされてネットのあちこちに張られたりしたら。
──愛がなければ視えない、はすごく良い言葉で、すごく良いテーマだと僕は思います。その愛について、ユーザーが深く考えることのできるようなラストを僕は希望したいと思います。
竜: そうですね。実は、『うみねこ』は、最後の最後の落ちの付け方はまだ決めていないんです。
──えっ、そうなんですか?
竜: 落ちの付け方、というか、見せ方ですね。ギリギリまでそこは考えていきたい。深みのあるラストにしたいですね。わかる人にはわかる、わからない人にはわからない、そのラインをどのあたりに持っていくか……。
──まさに愛がなければ視えない、じゃないですか?
竜: ハハ。でも、やりすぎてしまうとただの芸術家きどりになってしまいますからね。
──やっちゃってもいいんじゃないでしょうか(笑)。4年もかけて書き進めてきた作品なわけですから。しかし、もう『うみねこ』も、残すところあと2作品。次回作の話も見えてくるような段階に。
竜: 『ひぐらし』でいったら皆殺し編ですね。
──竜騎士さんにとっての愛は、統合するようなものですか、拡散するようなものですか。
竜: うーん、私にとっての愛は、拡散するものですね。愛にグローバルスタンダードは必要ないのではないでしょうか。ある意味、美意識は、愛とは違うものですよね。ある時代の美の基準は別の時代とは別物ですし。でも、好きな女の子の好み、は人それぞれですからね。
──たとえば、縁寿がいじめにあっているというのは違っているんじゃないかなって思ったりもします。僕は案外、面倒見のいいクラスメイトだとも思ったんですね。人は、基本的には愛が原動力となって他人に接する生き物ですし。
竜: それは、愛のある見方ですね(笑)。
──絵え羽ばだって、がんじがらめにするくらい、縁寿のことを愛しているともいえるし。
竜: しかし、愛なんてない、ということもできると思いますよ。人はやっぱり自分がいちばん大事ですから、結局のところは。信じられないくらい利己的なんですよ。だからこそ、母親が愛を持って、手を洗いなさい、と言うと、子どもは納得する。父親から頭ごなしに言われると反発するのに(笑)。与えられた情報はまったく同じなのにね。
──そうですね。
竜: 「馬鹿」という一ひと言ことにとっても、笑いながら言うのか、恐い顔をしながら言うのかで、受け取り方はまるで逆になりますよね。愛のある、ないで同じ情報が異なる結果を生んでしまう。「両目でものを見なさい」ということです。
──難しいですね……。
竜: しかし、愛のある見方だけでは、やっぱり本当の姿が見えてこないかも知れませんよ。愛のない見方もできないと、物事は立体的に見えてこないのではないでしょうか。要するに、ものは多角的に見たほうがいいということです。自分が好きなものだけを見る、嫌いなものは見ない、それだけでは、世界の見方はとても貧しいものになってしまいます。あえて、別の見方をしてみることですね。政党なら、あえて、支持政党以外の立場になって考えてみるとか。
──うーん、面白い!
竜: ネットには珠玉の名言があって、「この子はツンデレなんです、ただ、まだデレてくれないだけで」っていう。
──ハハハハハハ。すばらしい!
竜: ただ嫌われているだけじゃないか、という状態でも、愛がある目線だとこうなる。
──偉いなあ。楼ろー座ざに教えてあげたい。そこまではなかなか、至れないなあ。
竜: 左の頰も、右の頰もどんどん差し出しちゃう!(笑)
──頰を打った人に、「その手、痛くない?」ってきいちゃう!(笑)
竜: 私は、日本人は、多神教でありつつ、一神教の考え方もなんとなく理解できるという人が多いので、色々な視点を持って物事を見るということができる人はやっぱり多いと思っていますよ。
──あ、それは今回の読者の方からの質問にもあるんですよ。「ラムダデルタって、意志を持つ人間の味方ですよね。彼女の存在がひとつの神だと考えれば、人の要請に応じて神が出現するという、きわめて多神教的な世界観のお話が『うみねこ』なんだなと思っています。それは、最初から念頭にあったんでしょうか?」
竜: うーーーん。真相にかかわる部分がいきなりほんのりと出てきましたね(苦笑)。たとえば、今年は畑で美味しいトマトが実ったから、旬のトマトのサラダをつくろうと思う。しかし、それを1年前から決めていたかというとそうではない。私が決めていたのは、毎月毎月旬の野菜サラダを出そうということを決めていただけで。
──すべてが計画というわけでもないし、すべてが思いつきというわけでもない。どちらでもあるし、どちらでもない。
竜: そうです。物語の展開によっても変えていきますからね。ワルギリアやロノウェを登場させたのも、当時、あまりにも推理の方向性がばらばらになりすぎていたためですね。EP2で、多くの方がゲーム的なナビゲーション不足で、推理が難しくなって迷走していましたから。でも、彼らが登場する余地は最初から考えているわけです。
──そうなると、『うみねこ』の世界は多神教ですね。
竜: いろんな考え方が混在することを許す作品なんです。だから、この作品を収束させるのは簡単なんですよ。崖の上で、犯人が「私がやりました」と告白すればそれでいい。
──崖、ありますしね(笑)。
竜: フフフ。でも、それだとデジタルな思考になってしまいます。私はアナログ的な思考をユーザーさんに持ってもらいたいんですね。0か1かじゃなくって、0・1や0・8もあっていいという。『ひぐらし』もそうなんですけど、『うみねこ』はそのアナログ的な面白さを異常にパワーアップさせたもの。夢野久作先生の『瓶詰地獄』ですね。あの作品の瓶の中の手紙が、いったいどの順番で書かれたものか、それは誰にもわからない。夢野久作先生が「正解」を書かなかったから、未だにあの作品は最高の知的ゲームとして存在しているわけです。そのほうが、楽しいんじゃないですか? ユーザーさんどうしも、さまざまな考えをぶつけあうような。非日常を論破する瞬間、生き生きして楽しいじゃないですか。
──それでは次の質問。「竜騎士さんにとっての探偵は、ヱリカさんでしょうか?」
竜: 探偵小説も、ある意味ではラノベなんですよ。警察よりも圧倒的に優れた事件解決能力を持った「探偵」が存在するなんて、非現実ですからね。読者が非日常を受け入れないと、読めない。受け入れなければ「なぜこのフケだらけの不潔な男の言うことを警部は黙って聞いているの?」みたいな疑問が湧き上がってきますからね。
──ミステリーで、布を顔に当てたらすぐに意識を失ったりね。そんなわけはふつう、ない。
竜: クロロホルムはそこまでの即効性はないし、ひどい頭痛に見舞われるそうですからね。
──しかし、そういう非現実、非日常を「お約束=コード」として受け入れるからこそ、読者はミステリーを豊かに知的に楽しむことができる。島田荘司さんが指摘するところの「コード文学」ですね。多くのライトノベルと呼ばれている小説も、「コード文学」の要素は強いと思います。
竜: 探偵小説における警察軽視は、戦中、戦後の冤えん罪ざい事件からくる警察不信が背景にあるような気がしますね。
──有形無形の警察への不信が、探偵を生み出した、と。
竜: そうですね。しかし、その探偵小説のなかでも、警察の鑑識は絶対なんですね。本当は警部で十分なんです。探偵が出てくる余地は、本当はないんです。だからミステリーは反権力の小説なんです。警察という権力が軽視されない時代には、探偵小説や、ハードボイルド小説は世の中からさして必要とされないんです。今はとくに警察不信が甚だしい時代ではありませんよね。だから、『踊る大捜査線』や、『相棒』みたいな警察ドラマが受け入れられると思うんです。
──『名探偵コナン』は、そうするとどうなりますか?
竜: あれは、「大人」という権力と、「子ども」という反権力の闘いの構図なのではないでしょうか。大人向けのフィクションには、だから、子どもの探偵は必要ない気がしますね。海外はいざしらず、日本においてはそうだと思いますね。
──海外の古式ゆかしい本格ミステリー・シーンでは、黄金時代が終わった後は、ほぼ死滅状態が続いていますからね。
竜: 日本人は、様式美が大好きですからね。最初は、孤島も、雪山の山荘も、きわめて斬新な舞台装置だったはずなんです。孤島だから、雪山の山荘だから優れた舞台装置なわけはなくて、あくまでもそれが斬新だったから、良い舞台装置だったわけです。斬新な舞台装置を見つけることこそがミステリーなはずだったのに、孤島だから、雪山の山荘だからミステリーになってしまうという逆転が起こっているのではないでしょうか。
──僕もそうだと思いますね。
竜: ミステリーが好きな人にも2種類あって、真にミステリーを好きな人と、ミステリーの上うわ辺べを好きな人がいらっしゃるのではないでしょうか。『美お味いしんぼ』でもありましたよね。フランス料理だって、フランスの食材を使うからフランス料理になるんじゃなくって、その土地土地で最も美味しい素材を探して料理するというスピリットそのものがフランス精神なんだって。
──『美味しんぼ』は、偉大だなあ(笑)。
竜: 「本場、アガサ・クリスティも使った孤島ものです」みたいなものになってしまっている。
──ハハハ。島田さんは、それまでのミステリーが未踏の分野なので、21世紀の本格ミステリーは脳科学の分野に進出していくべきだと仰っていますね。
竜: しかし、ミステリー好きの人の中には、お客様の中には、未踏の料理など食べたくないという人もいますよね。美味いラーメンではなくて、ミステリーラーメンを食べたいんだ、という人。しかし、ガジェットと本質は違うんです。私は、虚と、実を見破ることこそがミステリーの本質だと思います。『うみねこ』はガジェットをこれでもかと入れ込んでいますけれど、本質の部分こそが真のテーマです。
──しかしガジェットを使うと、わりと楽に感動を呼べますからね。それを使わないで小説を書くのはしんどいのではないでしょうか。
竜: だから、たまに山岡士郎みたいなのが出てくる、と。
──「この密室はできそこないだ」、みたいな!(笑)
竜: 読者のみんなが期待するミステリーと、自分が追求したいミステリーとの相そう克こくに、悩んでいらっしゃる作家先生は島田先生のみならず多いのではと思います。
──島田さんの議論は、今となっては非常にわかりやすい議論です。しかし、当時は相当な疑問や批判を浴びましたからね。それは僕たち編集者にも原因があるのかもしれません。やっぱり、「次の密室、がんばりましょう!」って口に出してリクエストしてしまいがちですもの。
竜: 真実を追い求める探偵ですら、ファンタジーの世界ですよ。しかし私は、だからこそ愛すべき存在だと思っています。探偵をヱリカのように捉えてみたのは、その思いとは逆に、探偵を愛のない目線で書いてみただけですね。
──竜騎士さんにはいずれ、愛百パーセントの竜騎士さん探偵を書いていただきたいですね。
読者からの質問、つるべ打ち!
──次の質問です。「『大きな作品をつくろうとして完成しないより、小さな作品をつくって百パーセント完成させろ』という竜騎士さんの言葉が胸に突き刺さっています。私自身も大作プロットばかりを考えてしまって、筆はいっこうに進みません。どうやったら先生のように小説を書けるようになるでしょうか?」
竜: 短編を一本、書いてみるのはいかがでしょうか? ジュール・ベルヌは息子さんも小説家で、大ベルヌ、小ベルヌと称されているのですが、小ベルヌは父に対して、お父さんの3本の長編を、僕なら3行でまとめてみせると豪語したそうなんですね。それに対して大ベルヌは私ならお前の書いた3行から、3冊の長編を書き上げてみせる、と返したそうです。味わい深いですね。短編が書けるなら、どれだけの長編でも書けるはずです。だから、まず3行書きなさい、とアドバイスさせていただきたいですね。だって、大ベルヌだって、3行がなければ書けない、と言っているわけですからね。まずは短いものから、ぜひ。
──僕も短編を書くのをお薦めしますね。それでは次の質問──。
竜: あ、その前に、太田さんの『ファウスト』賞の一口講評、ネットで話題になっていたので、私も読ませていただきました。楽しませていただきました。
──(照れて)ああ、あれ、たまに2ちゃんねるやブログで周期的に盛りあがるんですよ。こないだのは、2ちゃんねるで「『ジャンプ』に投稿に行ったら3秒で却下された」というスレッドが盛りあがっていて、そこで取り上げられたんです。けっこう、受けてましたね(笑)。
竜: 投稿のひとつひとつにコメントするのはたいへんでしょう。
──たいへんですね、おもしろいけれど。ひとつひとつはバラバラのことを言っていても、全体を通してみると、僕がどんな小説を読みたいかがわかるようになっているつもりです。
竜: その程度の読解力は、期待したいですね。
──僕が思うに、編集者は作家志望者に何を言ってもいいんですよ。才能の世界で食べていこうとする人間と、その才能で食べていこうとする人間の真剣勝負なんですから。編集者自身の見識に基づいているならばどんなにひどいことを言ってもいい。作家志望者は、たとえ一人の編集者にダメだと言われたって、ダメでないことを証明する手段はいくらでもある。あとでいくらでも僕のことを馬鹿にできる。
竜: 投稿するということは、権威に才能を証明してもらいたいということですからね。権威は、ひとつではないですから。
──編集者は、少年マンガにおける最初の強敵なんです。たとえば、『幽遊白書』でいきなり飛影や蔵馬に負けちゃう幽助って、ありえないじゃないですか。最初の強敵を倒せない才能が、主人公になれるわけがない。それに、最初の強敵は、いったん倒してしまえば、あとで最高の味方になってくれるんです。僕を倒せない奴のストーリーを、先に進ませるわけにはいかないんです。それって、努力友情勝利のセオリーでしょ(笑)。
竜: 『バクマン。』の影響で、熱血にきこえる(笑)。
──飛影も蔵馬も最初は嫌な奴ですからね。
竜: ふだんから厳しい人のほうが、褒めてもらったときに嬉しいはずですしね。
──人間、叩けば伸びるけど、褒めないと縮んじゃうから、その両方のバランスが難しいんですけど。
竜: しかし、あれだけ太田さんに責められながら、まだ挑んでくる人がいるという根性はたいしたものです。そのくらいの気合がないと、物書きにはなれないのではないでしょうか。
──次の質問にいきましょう。「竜騎士先生は今後も先生の作品の魅力である、『日常』と『非日常』の落差(=どんでん返し)、を突き詰めていくおつもりでしょうか? その場合は肥大化するユーザーの〝慣れ〟にはどのように対処するつもりかお聞かせください」
竜: 頭の良い質問をする人ですね~。率直にお答えしますと、私にとっては日常と非日常の落差を出す、という手法自体がエンターテインメントの一手法にすぎない、と考えています。私はミステリー作家でもホラー作家でもなくエンターテイナーの一人にすぎないわけです。ですので、日常と非日常の落差を出すことを続けていくのか? と問われれば、一つの手法としてはこれからも使うけれど、他のやり方も模索していくと思います。そういうやり方に慣れて構えたユーザーに対してはどうするかといえば、その構え自体をうっちゃる、ということになります。作品を激しく左右に振れば振るほど、ユーザーの激情や思考は読みやすくなりますからね。ユーザーの「慣れ」すらも読みこんで奇襲していきたいな、と。慣れる、ということは裏を返せばこれほど落としやすいタイミングはないわけですよ。
──ああ、それはよくわかります。今なんか『アカギ』っぽかった(笑)。
竜: 「その思考が既に……」(笑)。
──次の質問です。「今のプレイヤーの推理の進行状況はどのようにお考えですか?」
竜: すばらしいと思います。真面目な推理も不真面目な推理も含めて。いろいろな理論や仮説を皆さんが組み立てていて、私が楽しんでもらいたいと思った楽しみ方を皆さんにしてもらっていると感じています。
──理想の読者を獲得できているわけですね。あれだけメディアミックスをして読者が付いてきている、というのはなかなかないですよ。メディアミックスは成功すればするほど作品に軋みを及ぼしてしまうので。
竜: 先日、講談社BOX版の『うみねこ』の感想のお手紙の中に「漫画・アニメから『うみねこ』に入りましたがこれでようやく疑問が解けました」というご意見がありました。メディアが変わると、作品のことを百パーセントは伝えきれなくなるという嫌いはありますね。
──そうですね。
竜: ただ、玄関の間口は増えるんです。魚は海に広く棲すんでいるように見えて実は自分たちに適した層にしか棲んでいません。メディアも同じで、小説は小説を好きな人しか読まない。だからいろいろなメディアを横断して、わずかでもいいから私の世界に触れてもらって、最後に「原作はもっとおもしろいよー」と思ってもらえたら……と思っています。それは新しい顧客を得るチャンスになりますからね。
──だから折り合いをつけて、違うメディアは違うメディアで一所懸命やるしかないんですよね。ただ、オリジナルに対する敬意は絶対に持たなければならないと僕は考えています。そうしないと良い作品が生まれてこない。
竜: 今は、読者の顎の力が衰えてきているので、「嚙めばおいしい作品」というのは受け入れられにくくて、「おいしいと保証されている作品」が個別包装されて、切り分けられて、そこまでしてようやく「食べられる」という状況になってきていると思います。
──そうですね。文法やコードがないと味がわからない読者が、やっぱり増えてきているんですよね。
竜: 加えて今は作家も作品の数も膨大ですからユーザーはどれに口をつけていいのかがわからない。なのでインターネットをフルに生かして「今、何がおもしろいのか」を調べてしまうんですよね。つまらないものに割く時間はないから。
──だからメディアミックスで動く客層というのはいつも気まぐれなんですよね。「100万部突破!」と宣伝してあるものを買う、という層だから。
竜: 「100万部突破!」が購入のきっかけになるというのは私が八城十とお八やの口を借りて言っている「流行りのブランドを流行りだけで着る」ということで、「中身ではなくブランドを読んでいる」ということになるんです。
──次の質問です。「『うみねこ』アニメ版を途中から見始めました。狂気が溢れていて過激なものを好きな私には大満足です。竜騎士さんの『過激』の定義を教えてください」
竜: 過激とは「過ぎて激しい」と書くわけですので、我々の日常からどれだけ乖離しているかが過激ということでしょう。ただ、派手な展開が過激だと勘違いされがちですが、私にとっては「過激」すらも非日常の中の表現の一つにすぎないと思っています。それが私の「過激」に対する定義ですね。ですので我々の日常から逸脱した「静寂」な何か、という表現があるとしたら、それは過激とは異なるだろうけれど、立派な非日常だと思います。
──なるほど、おもしろいです。「静寂も過激(非日常)」という境地は、能もそうなのかもしれない。
竜: 先程の「『日常』と『非日常』の落差に対するユーザーの慣れへの対処」という質問につながってくるんですね。作品に過激がすぎればユーザーはさらなる過激を期待するのでいずれは限界に達する、という趣旨の質問だったわけですが、逆なんです。いったん過激の方向に行ったのならば、次はその反対側の方向へ行けば良い。要は「振り幅」が非日常なんです。同じ過激が続いたら、それは傍目から見たら平坦なんですよね。
──ジェットコースターが常に高いところを最高速度で走っていても何も面白くないですからね。
竜: そうですね。低くなってまた高く上がったうえにひっくり返るから面白いんです。なので「段差」こそが魅せるべきところであって、上げたら下げる、下げたら上げるんです。それが面白さなんですね。
──次の質問ですが「竜騎士さんの作品では残酷な表現の一方で、仲間と協調する大切さが描かれています。そこで質問なのですが、竜騎士さんにとってヒューマニズムとはなんですか?」
竜: また面白い質問ですね。私にとってヒューマニズムとは「非完璧主義」とでも言えばいいですかね。私たちには理想があるのだけれど、常に現実的にはうまくいかない。いかに完璧ではない、「非完璧」を認め合っていくかが私にとってのヒューマニズムですね。
──また名言だなあ。
竜: 皆勤賞ってあるじゃないですか、小学校とかで。もしそれを狙っている小学生がいるとして、今まで皆勤だけど、おじいちゃんが亡くなってしまって田舎の葬式に行かなければならない、といった本人の意思ではどうしようもない事情で皆勤が途絶えてしまう可能性も多分にあるわけです。
──うんうん。
竜: そうなったときにその子は、今までがんばってきた皆勤が途絶えてしまって絶望してしまうのか? ゲームならばリセットボタンを押すのか? ということです。人間は完璧に生きたいのが理想なのだけれど、自分以外の不可抗力も働くので、絶対に完璧には生きられない。逆に完璧に生きてきた人のほうが怖い。その人が完璧でなくなった瞬間が、ね。よく言うじゃないですか、「挫折経験がない人ほど脆もろい」と。私にとっては人間は非完全、非完璧で、それを受け入れることがヒューマニズムですね。
──とても深い、いいお言葉です。大事にしたいですね。
──次の質問です。「『魔女のゲーム』は『ウミガメのスープ』に非常に近いと思っているのですが、魔女と人間の戦いというゲームを考えた際に、竜騎士さんは何か参考にされたものがありますか?」
竜: 『ウミガメのスープ』を『うみねこ』的に解釈するのは面白いですね。「魔女との虚実をめぐる戦い」という雰囲気をいろいろな他の作品から汲み取りながらの自分なりの推理バトルを構築しましたね。そういう意味では『逆転裁判』の影響もあるかもしれませんね(笑)。
──「『うみねこ』の『魔女のゲーム』に触発されて赤字と青字で戦う遊びをしています。竜騎士さんがベアトリーチェを描写する際に何かコツのようなものはありますか?」
竜: 徹頭徹尾、そのキャラクターの目的を明白にしておくこと。これに尽きます。
──それは何故ですか?
竜: そのキャラクターの目的がブレたら演じられなくなるからです。「なんでさっきは答えてくれたのに今度は答えてくれないの?」というふうに質問者が混乱することになってしまう。明白な目的がキャラクターに設けられていないと、赤字・青字が乱舞するバトルに耐えられないんです。
──なるほど。
竜: だから実はキャラクターの性格というのはどうでもいいんです。大事なのは、性格ではなく目的の一点に尽きます。性格というのはそのキャラクターの目的を示すときに──つまり素直なキャラクターだったらそれを素直に示すし、ひねくれたキャラクターだったらツンデレになる、といったふうにあくまでも「文章上の表現」に影響を与えるにすぎないんです。目的さえブレなければキャラクターはいくらでもまわせます。
──目的はルールだと。
竜: そうです。裏を返せば美少女ものライトノベルに登場する「主人公のことが大好きで仕方がない」という目的が据えられたキャラクターが周りに何人居ても、それらは全て同じキャラなんです。文章表現するときの性格が変わっているだけで。だから、目的がブレないことが大事なんです。
──「『魔女のゲーム』は作品構造に密接に絡みつつも、それ自体を独立してプレイできる一つのゲームとなっていますが、今後も作品の内外でこういった『非電源』ゲームをつくりたい、といった意思はありますか?」
竜: 私はTRPGもカードゲームも大好きなので、「電源」、「非電源」を問わずになにか新しい遊びが考えられたら良いですね。
──コミケに参加されたばかりのころはカードゲームをつくってましたものね。
竜: そうですね。実際に『ひぐらし』や『うみねこ』もその遊ぶ本質においては「非電源」ですよ。人と人が考えて思考しますから。結局のところ、あのソフトウェアから得ているのは「全員が共通に得られる議題」ですから。そのあとは別にソフトは必要ない。インターネットで、あるいは直接人と会って議論するわけですから。ですので『ひぐらし』や『うみねこ』もある意味立派な「非電源」ゲームですよ。マウスの動きで得られる得点やストーリーが変わる、という種類のゲームではないし、選択肢もないゲームですからね。
──確かに「電源」を使った「非電源」ゲームかもしれないですね。
僕のルール、彼のルール。
──次々行きます。「月並みですが、最近最もインスピレーションを受けた出来事はなんでしょう?」
竜: Xboxの『LEFT 4 DEAD』というオンラインゲームをしたときに「価値観の押し付けはいけない」と思ったことですかね。
──ワハハ。
竜: 価値観は人の数だけあって、人が提示する価値観なんて自分にはわかりようがない。だからこそ自分の価値観を相手が受け入れてくれなくても怒ってはいけない、ということです。そもそも我々は本質的には共存できない。第一歩は共存できないということを知ることで、それを知ることによって初めて相手の文化が理解できるんですよ。僕には僕のルールがあるけど彼にも彼のルールがあると。『LEFT 4 DEAD』というゲームはネットでプレイする時間帯によってプレイヤーの国籍がガラッと変わる。それにともなって、ゲーム内の世界観というか価値観も変わってくるんです。一番やってはいけないのが「僕が持っているルールをなぜ奴はわからないんだ」と憤慨することなんです。
──僕はわりとありがちですね、そういう過ちが(笑)。
竜: 昔、私がそのゲームで怪物側の立場で人間側を攻撃したときの話なんですけど、人間側のプレイヤーが救急箱を持ちながらぴょんぴょんジャンプし始めたんですね。このゲームは怪物側でプレイするときは人間側を殺せば勝ちなので、「救急箱を使うということは人間側の仲間の体力を回復させるということか? そんなことさせるか!」と思って、その人間を殺してしまったんだけど、後になって「救急箱を持ちながらぴょんぴょんジャンプする」という行為は「今はフェアなゲームができないので、ゲームを中断してくれ」というサインだということを知ったんです。
──ああー。
竜: でもこちらはそんなことは知らなくて殺してしまった。だけどそのことを後に思い返したときに「空気を読めないことをしてしまった」と思う反面、「こちらはそんなルールの告知は受けてないし、説明書にも記載されていない」、逆に「相手がその行為でこちらの攻撃が止まると思うこと自体が相手の傲慢なんだ」ということに気付いたんですね。
注目の次回作は?
──いよいよ最後の質問なのですが、答えられる範囲で結構です。「『うみねこ』の次につくったり壊したりするものは何でしょう?」次回作の質問ですね。
竜: 『うみねこ』が終わったら1年ほど短編をするつもりです。というのは長編に疲れてきたんですね(笑)。長編は楽しいんだけどひとつのネタで4年かけて書かなくちゃならないんですね。
──あまりにも長大ですよね。
竜: 世の中のネタには2種類あって、長編向きと短編向きがあるんです。短編を読んでいると、「やられた!」とか「うまいなー」と思うネタにたくさん出会うんですけど、それに対して私はいつも「でもこのネタで4年は引っ張れないよな……」と思ってしまうんです。だけど、そんなことばかり思っていたら、4年でひとつのネタしか書けないことなってしまうので、次は無性に短編が書きたくなったんです。ですので、その1年間は短編を書いて放電すると同時に充電してみて、新しいことをいろいろ考えてその後に次の長編、『なく頃に』シリーズに取り組みたいですね。まだどんなテーマにするかは全然決まってないですけれど。
──楽しみですね。今日も面白い話が聞けました! ありがとうございました!
(二〇一〇年二月、都内にて)