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【「序」より】(抜粋)

一九七〇年代以降、特に一九九〇年代以降、簡牘の出土が相次ぎ、戦国秦漢期研究は活況を呈している。魏晋期においても、走馬楼呉簡や郴州晋簡の出土があり、それらは全体像はいまだ明らかでないにせよ、前者については活発な研究が行われている。同じく出土資料である墓誌も、従来知られていたものに加えて、やはり近年多くの墓誌が出土ないし「出現」している。墓誌は同時代資料である故に、文献資料の闕を補うものとして広く利用されてきた。筆者も中国史研究に取り組み始めた頃から、墓誌を用いており、『石刻題跋索引』は最も早く備えた工具書のひとつである。ただ筆者を含め、墓誌の利用は、諱や字、生没年、本貫、官歴、婚姻関係などを知り、補うということが中心であり、言うならば必要なところだけを取り出す「便利使い」の対象としたものが多いように思われる。しかし、墓誌を史料として用いる場合、後に述べるように様々な問題があり、安易な利用は避けなければならない。筆者は長年魏晋南北朝、特に北魏の官僚制の問題に取り組んできた。それらは二〇〇三年に『魏晋南北朝官僚制研究』(汲古書院)としてまとめたが、それらのいわば基礎的研究の先にあるはずの魏晋南北朝時代の官僚制の正確な理解、さらには貴族制、特に北魏後期のそれの問題にせまるには、どうすればよいか考えていた時、科学研究費補助金の分担研究者として担当したテーマが墓誌に決まり、それに取り組む中で、それまでとは異なる形での墓誌の利用によって、上記の問題をクリアできるのではないかと考えるようになった。まず、墓誌の歴史について理解を深めることである。墓誌には基本となるスタイルがある。それがどのようにして出来あがってくるのかを理解すること、それが明らかとなれば墓誌は何のために作られるのかという墓誌の最も基本的な性格の解明につながる。また基本的なスタイルからはずれた墓誌があれば、それは何故かということから、その墓誌の史料としての性格を判断できよう。第Ⅰ部はこの観点の下で行った研究である。次に、墓誌を量的に処理することである。例えば個別の墓誌の官歴を正史の官歴と比較しても、それはひとつの事例にしかならない。しかし、墓誌と正史の双方をもつ多数の人物の官歴を比較すれば、そこから得られる結論は一定の信頼性をもってくるであろうし、その結果は当該時期の官僚制理解に大きく資することになろう。この観点から行った一連の研究を第Ⅱ部としてまとめる。第三に、文献史料と墓誌を併用して政治社会史を追求すること。これは従来多く行われた方法であるが、筆者の場合、やはりできる限り多くの墓誌を用いるように心掛けている。第Ⅲ部にはこの観点からの研究をまとめた。